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日本刀には強い生命力が宿っている

松田次泰(刀匠)

2017年06月03日 公開 2022年08月15日 更新

なぜ国宝の中で日本刀が圧倒的多数なのか

現在、国宝に指定されている点数で、日本刀は圧倒的多数を占めています。刀剣関連の指定品は全体の約1割(美術工芸品の約半数)にも及んでいます。

なぜでしょうか――それは日本刀が、今、述べてきたような「精神的な意味」を持つものだったからこそでしょう。

平安末期から江戸時代まで、もちろん日本刀は武士たちにとって、とても大切なものでした。しかし、「武器=実用品」として重要だったのかといえば、そう単純な話ではありません。

日本刀は、まぎれもなく武器としてつくられたものですが、実は日本刀が主要な武器として使われた時代は、日本にはほとんどなかったといわれます。

歴史研究家の鈴木眞哉氏が、軍忠書(合戦に参加した者が、恩賞をもらうために自分の戦功を申し立てた書状)などに書かれた戦傷状況を分析しています。

戦国時代以前の元弘3年(1333)から長禄元年(1457)に書かれた176点を見ると、

矢疵または射疵(弓矢によるもの) 86.6パーセント
切疵(刀・薙刀・長巻などによるもの) 8.3パーセント
石疵または礫疵(石や礫をぶつけられたもの) 2.7パーセント
鑓疵または突疵(槍によるもの) 1.1パーセント

だったそうです。また、戦国期以降、応仁元年(1467)から寛永14年(1637)までの軍忠書など201点によれば、

矢疵または射疵(弓矢によるもの) 41.3パーセント
鉄砲疵(鉄砲によるもの) 19.6パーセント
鑓疵または突疵(槍によるもの) 17.9パーセント
石疵または礫疵(石や礫をぶつけられてもの) 10.3パーセント
刀疵・太刀疵(刀によるもの) 3.8パーセント
切疵(刀など何らかの武器によるもの) 2.3パーセント

だといいます(鈴木眞哉『刀と首取り』平凡社、2000年)。

当時、数多く出されたであろう軍忠書の中で、これは一部分の分析にすぎないものでしょうし、この分析についても賛否両論が出されているようですが、実際の戦場では、弓矢や鉄砲、あるいは石礫などといった飛び道具が大きなウェイトを占めていたことは間違いないことなのでしょう。

しかし、合戦を描いた同時代の絵巻や屏風絵などを見ると、ほとんどすべての武士や雑兵(足軽)が刀を持った姿で描かれています。

もちろん、「刀を持つのは、いざ近接戦になったときの武器として」という場合も多かったことでしょう。

しかし、とりわけ武将クラスの武士たちが戦場に刀を持っていったのは、精神的な面での理由が主だったと思われます。先に日本刀から「生きる力」をもらう話をしましたが、同様に、武士たちも日本刀を見ることによって、その力強さをもらうことができると信じていたのです。日本刀は、神社のご神体になるほどの霊力を秘めたものであり、霊威をまとったものです。武士たちにとって、何より信仰の対象であり、心の拠り所であったことでしょう。

日本刀の名刀が、弓矢や槍などといった武器と比べて格段に数多く現代まで伝わっているのは、弓矢や槍が「実用品」であったのに対して、日本刀はむしろ「精神性」を象徴するものであったからに違いありません。

 

武将たちは名刀を見ることで心を研ぎ澄ましていた

何より名刀は、美しさと強さを併せ持つものです。戦国時代になると、名だたる武将たちが名刀を追い求めました。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は、「天下三作」と呼ばれる「正宗」「郷義弘」「粟田口吉光」の名刀を求めたほか、武田信玄は重要文化財の「来国長」、上杉謙信は国宝「太刀無銘一文字(号:山鳥毛)」などの名刀を愛用し、戦場に好んで持っていったのです。

武将たちにとって戦場は、ここで負けたら一族郎党がすべて絶えかねない真剣勝負の場です。ですから武将たちは、戦場に名刀を持参し、それを手にとって見ることで、心を落ち着かせ、心を研ぎ澄まし、そして心を奮い立たせていたのです。

ぜひ一度ご体験いただきたいのですが、ろうそくなどの光に透かして日本刀の刃文を見ていると、不思議に心は鎮まり、澄みわたっていきます。曰くいいがたい充実感・昂揚感に満たされることもあります。武将たちもそのようにして玄妙なる刃文の姿を鑑賞し、生きる力を得ていたはずです。

また、これはあまり知られていないかもしれませんが、武将たちは戦場から戻ると、刀を研ぎに出していたといわれます。別にそれで人を斬ったりしていなくても、です。

恐らく、刀を研ぐという行為には、「禊ぎ」のような意味あいがあったのだと思います。

戦場は、どうしても過酷なものです。命を落とす者もいる。そうした悲しみに思いを馳せつつ、「生きる力」や「霊威」が込められた名刀を研ぎに出すことで、禊ぎとしていたのでしょう。

そう考えると、刀鍛冶ばかりでなく、刀を研ぐ「研ぎ師」の仕事場にも注連縄が張ってある理由が、よくわかるような気がします。

先ほど、「家にこんな刀がありまして」と私のところに持ってくる方々のお話をしましたが、そのような方の中には、「この刀は人を斬ったものではないでしょうか。そう考えると気味が悪くて」などとおっしゃる人がいます。しかし、今、お話ししてきた「刀を戦場に持っていく意味」や「禊ぎとしての刀」のことを知っていただければ、そのような不安は筋違いであることが、おわかりいただけるのではないでしょうか。

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