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「とにかく行動、ダメなら修正」ハウステンボス“超速”黒字化のワケ

澤田秀雄(ハウステンボス社長/エイチ・アイ・エス会長)

2011年10月27日 公開 2022年09月29日 更新

 

――1992年の開業以来、18年連続赤字だった長崎のテーマパーク「ハウステンボス」が、社長交代からわずか1年で黒字化した。 新社長は日本最大の旅行会社エイチ・アイ・エスの創業者で現会長の澤田秀雄氏だ。だれもがさじを投げるほどの難題だったが、打診からわずか半年後の社長就任時には"勝ち"を確信していたという。その確信の理由とは何か。ハウステンボスで何をどのように変えたのか。

澤田流の"スピード"のコツは何か。めざす将来像は――。現地に澤田社長を訪ね、縦横に語ってもらった。

※本稿は『PHPビジネスレビュー 松下幸之助塾』2011年11・12月号より一部抜粋・編集したものです。

 

18年連続赤字のハウステンボス

ハウステンボスは1992年3月、長崎オランダ村を発展させるかたちで初代社長・神近義邦氏がオープンした大規模なテーマパークである。オランダ政府の協力を得て、街並みから王宮まで実在の建物を忠実に再現するなど、2,200億円ともいわれる莫大な初期投資が行われた。
 オープンからしばらくは来場客を増やしたが、1996年をピークに減少、初期投資を解消できずに経営は苦しくなっていった。神近氏は2000年、出資銀行だった日本興業銀行に債権放棄を要請するとともに、社長を辞任した。その後、興銀主導での立て直しが試みられたものの成功せず、2003年に会社更生法の適用を申請した。
 破綻後、野村プリンシパル・ファイナンスがスポンサーとなって経営再建を行なったが、2008年の世界同時不況などの影響もあって立て直しに失敗、2009年に同社は撤退を表明した。
 その後、九州の経済界(七社会)が経営を引き継ぐことが検討されたが、結局話はまとまらず、七社会と佐世保市がエイチ・アイ・エスに経営を依頼、2010年4月から同社の傘下で再建をめざすことになった。

 

社長就任前に問題の4割を解決

――開業以来一度も黒字を出したことがなかったハウステンボスの経営を昨年2010年4月に引き継がれ、わずか1年で黒字化に成功されました。社長就任直後から一気呵成に改革を進められたのですか。

【澤田】具体的な経費削減策の指示やイベントの立案は就任後ですが、実はその前からけっこう手は打っていましたよ。

――就任前から手を打たれていたと。

【澤田】はい、事前にちゃんと数字は全部見せてもらっています。そんな、やみくもに経営に乗り出すなんていうのは危険ですから(笑)。数字を見て、どこに問題があるのか、改良すべき点はどこか、アタリをつけて、実際に事前に現場にも来てチェックしました。

そして、外部との交渉も事前にしました。一番大きいのは莫大な借金をどうするかですね。私は金融機関と交渉して、約60億円あった債務の8割を放棄してもらうことができました。

残りの債務は出資金を使って、就任までのあいだに借金をゼロにしてしまいました。借金がゼロなら、少なくとも黒字を出していれば倒産はしませんからね。それに、無借金経営というのはエイチ・アイ・エス・グループの方針でもありますから。

そのほか、佐世保市から固定資産税納付額に相当する再生支援交付金を10年間にわたっていただくことも事前に決めました。九州経済界からも、資金面だけでなくさまざまな協力をしていただける体制をつくりました。

――社長就任の話はいつごろから?

【澤田】2009年の10月くらいからありましたが、最初は断りました。九州経済界が引き受けるかどうか議論されていましたから、それならそのほうがいいと思って。私も旅行業をやっていますから、側面からの支援はもちろんお約束しましたが、経営自体はお断りしたのです。

でも11月未に九州経済界が経営を引き受けないと決まって、それならということで、最終的には昨年の2月中旬にお引き受けすることを決めたわけです。

――では、就任まで1カ月半のあいだにいろいろな交渉をされたのですね。

【澤田】経営引き受けの交渉と同時併行ですね。でも最初は本当にやめようと思いましたよ。だって「マーケットが小さい」「遠い」「古い」と、むずかしい条件が三拍子揃っていましたから。

よくディズニーリゾートさんと比べられますが、あちらと比べると商圏は20分の1です。1回はお客さんを呼ぶことができでも、リピーターにしていくのはむずかしい。

それから遠い。ディズニーさんは東京駅から15分か20分で行けます。かたやこちらは長崎空港から1時間、福岡からなら1時間半もかかります。おまけに古い。開園から10年近くたって、これから修理案件がたくさん出てくるけれど、お金はない。

悪い条件ばかりでしたけど、いろいろな方と交渉する中で、なんとかやれそうだということが見えてきたので、お引き受けすることにしたのです。そうして4月に入るまでに、先ほどお話ししたような手を打って、後顧に憂いがなく前だけ向けるようにできましたから、スタートするときには勝てると思ってスタートしました。

だから勝てるんです(笑)。始まる前に4割くらいは問題を解決してしまったといえるでしょうね。やっぱり事前の段取りは大切です。そうすれば、あとは一気呵成に進められますから。

 

 

売上2割増・経費2割減

――社長就任後、短期間で黒字化に成功された最大の要因はどこにあると、澤田社長ご自身はお考えでしょうか。

【澤田】最大の要因は、みんなで努力したことだと思いますね。売上を2割増やし、経費を2割削減するという目標への努力に尽きます。

ただこれは正確に売上2割増、経費2割減である必要はなく、トータルで4割分の利益が増えればいいと考えています。つまり、売上が4割増だったら、当然仕事が4割分、増えているわけですから、その分経費も増えます。

そこを抑えて経費をトントンにできれば利益は4割分、増えることになります。2割・2割というのは、あくまで分かりやすい表現にしたまでです。トータルで4割良化すれば、たいていどんな企業でも黒字になりますよ。国だって同じでしょう。

――具体的にはどのような取り組みをされたのでしょうか。

【澤田】経費の削減では、まず1つめは「フリーゾーン」をつくりました。実はハウステンボスというのは、東京ディズニーランドの25倍以上の面積があるのです。広いということは経費がかかるということです。

そこで、お金のかかる面積を小さくしようという発想をして、1/3をフリーゾーン、つまりタダのエリアにしたのです。タダなら、極端にいえば店があろうがなかろうが、にぎわっていようがいまいが、お客様のご不満は生じません。

そうやってフリーゾーン部分の人件費や光熱費をある程度下げて、その分を有料ゾーンに振り向けました。つまり「薄く広く」だったのを「濃く狭く」にして効率を上げたのです。これによって当初経費は大きく下がり、さらに有料ゾーンに"にぎわい感"が出て一石二鳥の効果がありました。

もちろん、永遠にフリーゾーンにしておくと決めているわけではないですよ。とにかく当初の経費を下げなければ、ということから考えた作戦です。今やフリーゾーンもにぎわってきていますから、今後作戦を変える可能性はあります。

2つめは、仕入れの見直しです。ハウステンボスは花の美しさが売りなのですが、その花も仕入れを全部見直しました。これによって花の仕入れ値が1億円ほど下がったのです。その他、すべての点で経費の見直しを細かく行いました。

3つめには、スタッフに「1.2倍、速く動く」ことを求めました。これまで1時間かかっていた仕事は、45分とか50分でやる。1時間で10枚の書類を処理していたなら、12枚処理できるように努力する。場内や事務所内を移動するスピードを2割上げる。

私自身、模範で電動自転車で移動しています。場内は広いですからね。これまではどこかに集まるにしても、時間がかかっていたんです。自転車を使えば5分で移動できますから。

まあ、すべての仕事、行動で1.2倍速くというのは無理でしょうけれど、スタッフにはとにかく時間のムダをなくしてスピード感をつけよう、と話しました。こういう細かい効率化、合理化の積み重ねです。

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衆知を結集した上で「最後はカン」

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