(写真提供:やなせスタジオ)
国民的な人気キャラクターと言っても過言ではないアンパンマン。その作者であるやなせたかしさんの1995年に刊行されたエッセーが『ボクと、正義と、アンパンマン』と改題の上で復刊された。
1969年に初めて登場したと言われるアンパンマンが、アニメ化されたのは1988年。やなせさんは69歳。現在に至り30年以上にわたり子どもたちに愛されるキャラクターの生みの親が、あの頃に何を感じていたのか? 同書の一節を紹介する。
※本稿はやなせたかし著『ボクと、正義と、アンパンマン』(PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです。
一年生には一年生なりの思想がある。それを無視した歌は好きになれない
おかげさまで、アンパンマンは幼児から小学校低学年の子どもにかけて人気があります。アンパンマンの生みの親としては、片方ではうれしい半面、こんなに世の中に氾濫していいのだろうか、と不安な感じもしています。ボクの希望としては、一人歩きしていくのはいいとしても、トップにならずに、四位か五位をキープして、永く続いていってほしいのです。のぼりつめれば、必ず、次は落ちますから。ボク自身も子どもの頃から絵が好きで、小学校、中学校(旧制)と好きでかいていましたが、決してトップではなかった。三番目か四番目にうまかった。アンパンマンもボクとしては地味な感じでいきたいのですが、最近は、どうも派手っぽくなってきて、心配しています。
それと、絵のほうはともかく、主題歌の歌詞に対して若い人からも反響があって、悲しい時に勇気づけられる、という高校生の投書が新聞にのりました。子どもに受けようとか、子どもに迎合せずに、自分の思いを大人の感覚でそのまま歌詞にしています。「なんのために生まれてなにをして生きるのか」というわりあいと重い問いかけになっていて、幼児アニメのテーマソングとしては珍しいかもしれません。
ボクはいままでにもアンパンマンの歌以外に子どもの歌をたくさんかいています。代表的なものは「手のひらを太陽に」でしょうか。小学一年生なら一年生なりに思想があるものです。それを無視したような歌は好きになれません。その気持ちはいまも同じで、だから「手のひら……」もアンパンマンの主題歌も、自分の思いをそのまま歌詞にしたまでのことで、それが受け入れられている、ということはとてもうれしいですね。作者のいわんとしていることが歌う子どもたちにわかる歌でないと。もしアンパンマンの主題歌をだれか他の作詞家に依頼したら"かわいい、かわいい、アンパンマン"式のものができたでしょう。
森の中ではパンは売れないけど
とはいっても、漫画のキャラクターとしてのアンパンが活躍するのは、いわば、アンパンマン・メルヘン・ワールドでのお話なのです。アンパンマンのお話の中のパン屋さんは森の中にあります。現実的に考えると、森の中ではパンは売れません。売ろうと思ったら、もっとにぎやかな都会とか、駅前の繁華街になってしまいます。
つまり、現実社会にない架空の世界だということです。だからアンパンマンはメルヘン・ワールドの中のパンの妖精みたいなものです。
ボクの作品には、メルヘン風なものが共通して漂っているとよくいわれます。やはりそれは、子どもの時の影響でしょう。父が死んでからは医者であるおじの家で育ちました。絵が好きでよくかいていました。当時は力強い絵、荒いタッチの絵、強い色彩のものが受けていたのですが、ボクがかくのは、おとなしい絵でした。本も子どもとしてはかなり読んでいました。そうしたことの影響なのでしょう。アンパンマンの映画が封切られた時、それを注意深く見た人の中にはきっと、これはメーテルリンクの"青い鳥"を下敷きにしている、と気づいた人がいたと思います。"青い鳥"にはいろんな妖精が出てきます。パンの精も出てきます。
ボク自身は意識して"青い鳥"を下敷きにして作ったわけではありませんが、やはり、自然に、そうなるんですね。子どもの頃に得たものの影響は大きいですよ。子どもの時に心に染み込んだものは、大人になって出てきます。たとえばボクらは、子どもの頃、天皇は神であり、尊いものだと教えられたから、昭和天皇はボクらと同じ人間だと戦後教え直されても、おそれ多い気持ちはずっとありました。それくらい子どもの頃の生活は大事だし、まわりの大人の責任も大きいのです。ボクたち子ども向けに作品をかいている者の責任も重大です。
ボクは教育者ではありませんが、それを読む子どもたちの心に影響を与えていくとすれば自分の作品群に対しては責任があります。
ボク自身、子どもの時に読んだ本にずいぶん助けられています。
そして、どうもその頃からボクはほとんど進歩していないみたいです。
基本的な精神のデッサンは三歳から五歳ぐらいまでに完成しているように思います。
いわゆる「三つ子の魂百まで」ですね。