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タモリさんが憧れた男…赤塚不二夫流「見事なお金の使い方」

川北義則(出版プロデューサー/生活経済評論家)

2012年01月26日 公開 2022年12月27日 更新

赤塚不二夫流「見事なお金の使い方」

先年亡くなった漫画家の赤塚不二夫さんは、あらゆる意味で天才だった。私は新聞記者時代に何度か酒席をともにしたことがあるが、それは楽しい時間だった。

無名時代のタモリさんが九州から上京したとき、赤塚さんは、そのパフォーマンスを気に入り「毎晩こいつを見ていたい。九州には帰さない」と「囲って」しまったのは有名な話である。

買ったばかりのマンションに住まわせ、自分は仕事場で寝起き。タモリさんの好きなオーディオ、レコードをたくさん揃え、さらには肉屋、魚屋、八百屋に手配して定期的に食材を届けさせ、上京したての彼に何一つ不自由させなかったという。

その後の“タモリ”の活躍はご存じのとおりだが、赤塚さんは彼の成功で大儲けをしたわけではない。ただ「自分が楽しみたい」という理由だけだった。

赤塚さんからそうした援助を受けた人はたくさんいたようだが、なかでも“紅テント”で知られたかつてのアングラ劇団「状況劇場」の主宰者・唐十郎さんへの使いっぶりが、カッコいい。

酔った勢いで、公演用の紅テントを「汚れたから買ってやろうか」といい、800万円も出して本当にテントをプレゼントしたのだ。30年以上も前のことである。

しかし、ここからが赤塚さんの真骨頂。恩を感じた唐さんが、テントに「寄贈・赤塚不二夫」と書き入れたいと申し出ると、「そんなことをするなら、俺は金を出さない」と断固拒否したのである。

つまり、彼にとっては「美談の主役」などもってのほか。自分の自由になるお金で面白いことができて、自分が楽しめて他人も喜んでくれればいいのである。なかには“たかり”のような輩もいて、周囲から見ると“恩知らず”な人もいたようであるが、彼にとっては「それでいいのだ」なのである。

面白い人間、面白いことに惜しげもなくお金を使った赤塚さんだが、もう1つ身銭を切ってお金を使っていたのが、映画である。もともと、彼は映画の看板を措く会社で働いていた。最近は見かけなくなったが、当時映画館の正面には上映中の作品や近々上映される作品の絵が掲示されていた。

いまではポスターが主流だが、当時は出演するスターが本物そっくりに描かれていた。赤塚さんはその絵を描いていたのだ。そして、看板を届けたついでに隠れて映画を観ていると、「そんなに好きなら正々堂々と観ていい」という館主の許しをもらう。

そんなこともあって、赤塚さんは無類の映画ファンになる。後年、売れっ子漫画家になると、膨大な数の映画のビデオ、レーザーディスクを買い込んだ。そのコレクションは量、質ともにマニア垂涎のものだ。

おそらく時価換算すると、とてつもない額に達するコレクションだろう。それが、彼の傑作を生み出す原動力になっていたのではないか。

彼の生き方は「真面目に面白いことをやる」がモットー。それにかなうことがあれば、お金はいくらでも出す。面白ければ、見返りはいっさい不要。「お金を貸す」という発想は絶対にしなかった。並の器ではできない芸当ではある。これこそ、赤塚流の見事なお金の使い方だ。

これを「お金があったからできる」で片づけてはいけない。自分の身の丈に応じたカッコいいお金の使い方はいくらでもある。とにかく「面白そう」を優先させたお金の使い方は見習いたいものだ。

他人が何といおうと、自分が面白いと思うものにお金を使おう。そんなお金の使い方があってもいいし、そうなれば人生楽しいに違いない。

 

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