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平清盛と後白河院、同床異夢の確執

小川由秋(作家)

2012年02月04日 公開 2022年10月13日 更新

運命的な出会いとは、ある1つのことを成そうとした時、そのことに必要な自分にはない力を持った相手と、まったくの偶然にしろ、あるいは誰かの手によって導かれたにしろ、遭遇することから始まる。

後白河と清盛の出会いは、一方は皇位に即くことなどまったくあり得ないと思われていた人間と、もう一方は武士が貴族の番犬でしかなく、その武力も皇室や貴族の意のままに用いられるものと思われていた時代にあって、他人の気持ちを付度(そんたく)することに長けた、気配り上手な、それでいて武力というものが持っている絶対的な力が、豊富な財力ともう1つのなにかと結び付くことによって時代を動かす大きな力となり得ることを見抜いた男との、邂逅(かいこう)から始まったといえる。

日本の歴史を通観してみると、3つの大きなエポックがあることに気づく。1つは、それまで古代国家成立以来長く続いていた天皇(朝廷)による王朝体制が必ずしも絶対的なものではなく、次に続く武家政権誕生をもたらした契機を導き出した画期、2つ目は、同じ武家政権下にあって、長い戦国争乱へと続きやがてそれに終止符を打ち、その後の長期にわたる徳川幕府による近世封建体制を確立させた画期、3つ目は、鎖国体制によってそれまで世界に目を向けてこなかった徳川政権が、黒船に象徴される世界の列強によって蹂躙(じゅうりん)される危機感から、明治維新を実現させた画期、を指すといえるであろう。

小説『清盛と後白河院』においては、最初の画期といえる後白河と清盛の二人の出会いから破局、そして清盛の死に至るまでに焦点を当てて描いてみたものである。この二人の出会いとその後の歩みは、まさに"同床異夢"ともいうべき1つのかたちを成していたといえる。はじめのうち二人は、お互いを必要欠くべからざる相手としてこれと手を組み、互いを引き立て、その周囲の人間たちをも優遇し、夢の実現へと歩みを共にしていくことになる。

だが、いったん事が成ってしまった後は、お互いが思い描いていた夢が大いに異なることに気づかされることになる。それどころか、その夢そのものが互いに相容れない、あるいは真っ向から対立することになる、まさに“異夢”に他ならないことに気づかされるのだ。この瞬間から、二人の出会いは一転して大いなる確執へと変貌していくこととなる。

一方は、それまで自分が当たり前のものとしてきた、自分の存在基盤たる絶対王朝そのものの存立と擁護へと向かい、もう一方は、その者がなにより大事としてきた一族一門の繁栄と、それが少しでも長く続いていくことへの切なる願望へと変質していく。

この2人の確執は期せずして、歴史の大きなエポックを浮かび上がらせ、後に続く者たちをしてそのことに対し、はっきりと目覚めさせていくことにも繋がっていくのである。

よく知られた戯歌(ざれうた)に、
織田が搗(つ)き 羽柴が捏(こ)ねし天下餅 座りしままに食うは徳川
というのがある。

これに類似した現象として、
清盛が搗き 義仲・義経が捏ねし天下餅 座りしままに食うは頼朝
という戯歌をも、成り立たせ得るといえるのではないだろうか。

頼朝によって確立された鎌倉幕府とその後670年余にわたって続いていく武家政権誕生のエポックは、まさに清盛によって初めてその基本となる姿をこの世に現出させたのであり、当時の人々の眼前にはっきりと映し出されていったといえる。そうした意味からいえば、長い日本の歴史の中で、3つの大きなエポックを現出させたその最初のものとしての二人の、"同床異夢の確執"というものに、改めて深い興味を覚えるのである。

 

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