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40代で訪れる「こころの定年」は定年準備への合図

楠木新(神戸松蔭女子学院大学教授)

2018年06月12日 公開 2024年12月16日 更新

 

働く意味を見失い悩んでしまう「こころの定年」

城山三郎氏は、大学時代の旧友に「君も定年まであと五、六年か」と何気なく聞くと、その旧友は「実質的にとっくに定年だ。四十代の終わりからは、もう『死に体』も同然さ」と答えたという(『無所属の時間で生きる』)。

城山氏は、知的にも肉体的にも出力100%という年代なのに、何ということか、と思ったという。その気持ちが、『毎日が日曜日』(新潮文庫)を書いた出発点だと語っている。

40代半ばに揺れ始める会社員の具体的な発言をインタビューから最大公約数的にまとめてみると、「誰の役に立っているのか分からない」「成長している実感が得られない」「このまま時間が流れていっていいのだろうか?」の3つに集約できた。

読者の中にもこのような状況に陥った経験、または今もそういう気持ちを抱えている人がいるかもしれない。私もかつてはそうだった。

40歳を過ぎて、働く意味に悩むこの状態を、私は「こころの定年」と名付けた。
「死」が人生の定年だとすれば、60歳に「就業規則上の定年」がある。しかし定年の前に働く意味を失い、思い惑う「こころの定年」状態に陥る人がいるという意味である。

 

40歳を過ぎても成長する能力と下降する能力、その矛盾を越えて

このため2005年(平成17年)から「こころの定年/研究会」を立ち上げて、70回以上、勉強会を実施してきた。また朝日新聞土曜版で「こころの定年」というコラムの連載を担当して書籍の出版も行ってきた。

欧米においても「中年の危機」という概念があるが、これは個人の自立を前提にしている。日本のビジネスパーソンの場合は、それに比べると社員と組織の関係がポイントになるというのが実感だ。

「こころの定年」状態にあるのは、今までの自分では賄い切れない課題を背負っていると言える。その内容をライフサイクルで見ると、上昇一本槍の今までの生き方と、後半生に向けて徐々に降りる道筋との葛藤であることも多い。

そう考えると、人生には前半戦と後半戦があって、前半戦では、同僚や顧客に評価される自分を創り上げることが求められるのに対して、後半戦では、自らの老いや死を何らかの形で取り入れながら働くことが求められている。
後半戦では周囲の人と横並びにというよりも、自分なりの向き不向きを見極め、個性で勝負する必要がある。

この前半戦と後半戦の狭間で、「こころの定年」状態が生じやすい。そして40代半ばにもなれば体力面では下降していくが、組織管理力や思考力などはまだまだ成長できるので、自身の中にも上昇と下降の矛盾を抱えている。

この「こころの定年」状態を脱出するためには、それまでに作り上げてきたものを壊さなければならない場面もあるが、そのことが定年後の事前準備になっているケースも少なくないのである。

 

※本記事は楠木新著『定年準備 人生後半戦の助走と実践』(中公新書)より一部抜粋・編集したものです。

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