⼩説が好きならば、誰にでも書く才能がある
2018年08月01日 公開 2023年01月23日 更新
ふとした「一言」との出会いを大事にする
簡単にいうと、さまざまな読書体験は語彙を豊富にさせる、可能性があるということ。
つまり語彙に敏感になるということは、こと小説に限らず、あなたの対人関係や人生そのものを格段に広げてくれる、そのきっかけにもなるということだ。
だから自分にとって新鮮で画期的で、素通りできない一言に出会ったら、それを自分の意識にきっちりとメモしておくことが重要だと思う。
暇だから本でも読んでみるか……とか、いっちょ小説でも書いてみるか……とか、そういう気分になったとき、では何を読めばいいのか、どの小説をどんな風に読めばいいのか、はたまたどう書いたらいいのか、おいおい語っていくつもりでいる。
ただ、「おれは野球を観ることが大嫌いで、テレビでやっていてもほとんど観ないしルールもよく知らない。だがバッターボックスに立てば、必ずホームランが打てる」という人も、会ったことはないがごくごくまれにはいるはずだ。
小説でそれと同じことを言える自信のある人なら、他人の書いたものなど読む必要もない。
まずは学校の現代国語の教科書以来という人も、本屋さんなり図書館なり、WEBのamazonや電子書籍なりに出向いて、小説作品に馴染んでみることをお勧めする。
それと、ここでしつこく言っておきたいのは、あくまでも「小説とは楽しみ」なのだ。したがって、それ以上に求道的に我慢して難しい本を読む必要はさらさらない。
自分にとって馴染める、楽しめる本を読めばそれでこと足りる。そうすれば、その次に読んでみたい本が自然に出てくる。向こうからやってくる。
自分は小説家になるのだから、カミュやプルーストやマンやトルストイやヘミングウェイ、少なくとも漱石や鴎外くらい読んでおかないと、あとで編集者に馬鹿にされる、などと取り越し苦労をする必要は、ない。
自分で書くようになれば、おのずからそういう本も読みたいと、つまり馴染んで楽しんでみたいと、自然と感じるようになる。そうなってから読めばいいし、そのほうが何十倍も身になる。
ちなみに私は村上春樹の『風の歌を聴け』が好みで、ときどきふと無性に読みたくなる。
そのたびに本屋に飛び込んで、ドトールとかタリーズの喫煙コーナーで小一時間読み耽る。おかげで同じ文庫本が何冊もある。
そんなふうに、自分の好みの小説に出会うためには、人生とか恋愛と同じで、やはりたくさんの恥や失敗も必要だろう。
※本記事は草薙渉著『原稿用紙10枚で人生を変える小説トレーニング』(夜間飛行刊)より一部を抜粋編集したものです。(夜間飛行提供)