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項羽と劉邦~天下を取れる組織、取れない組織の違いとは?

守屋淳(作家/中国文学者)

2019年03月08日 公開 2024年12月16日 更新

天下を取れる組織、取れない組織の違いはどこにあるのか? 作家の守屋淳氏は、そのヒントは「項羽と劉邦」の違いに目を向けることで分かるという。組織のリーダーに必要な資質を、「楚漢の覇権争い」から探る。

 

項羽
前232~前202年。名は籍せき。叔父の項梁とともに挙兵し、劉邦と秦を滅ぼして一時期天下の覇権を握ったが、劉邦との争いに敗れて烏江で自殺した。

劉邦
前247~前195年。字は季、廟号は高祖。漢王朝の創始者。秦末の混乱期に挙兵、秦王朝を滅亡させた後、項羽とともに覇権争いを展開、前202年の垓下の戦いに破って天下を統一した。

※本稿は、守屋淳著『本当の知性を身につけるための中国古典』(PHP研究所)より、一部を抜粋編集したものです。

 

個人の強み、組織としての強み

天下を取れる組織、取れない組織の違いとは、何か──この疑問に関して、後の中国や日本に対して、それなりの影響を及ぼし続けている事件があります。それが、司馬遼太郎の小説『項羽と劉邦』で知られる楚漢の覇権争い。

兵馬俑や万里の長城で有名な秦王朝が崩壊した後、覇権を争ったのが項羽と劉邦の2人でした。このライバルは、面白いことに正反対の特徴を持つ人物だったのです。

まず当時20代後半だった項羽は、やる気と若さのエネルギーに満ち溢れ、中国史上でもまれに見る戦の天才。一方の劉邦は50過ぎで、人間的な魅力はありましたが、戦下手で、負けて逃げ回ってばかりいました。

普通に考えると、戦の弱い劉邦が、天才項羽に勝ち目などないはずの争いだったのですが、現実には劉邦が項羽をうち破って天下を手中にするという結末に至ります。一体なぜ、こんな芸当が可能になったのか──。

この理由について、実は天下を取った後の劉邦自ら語った言葉があります。彼が首都の洛陽で酒宴を開いたときに、部下たちにその勝因をこう告げました。

「帷幄のなかに謀をめぐらし、千里の外に勝利を決するという点では、わしは張良にかなわない。内政の充実、民生の安定、軍糧の調達、補給路の確保ということでは、わしは蕭何にはかなわない。百万もの大軍を自在に指揮して、勝利をおさめるという点では、わしは韓信にはかなわない。

この3人はいずれも傑物といっていい。わしは、その傑物を使いこなすことができた。これこそわしが天下を取った理由だ。項羽には、范増という傑物がいたが、彼はこの1人すら使いこなせなかった。これが、わしの餌食になった理由だ」

この答えに一同はひれ伏した──。

この会話に出てくる張良とは、劉邦に仕えた名軍師。蕭何は内政を取り仕切った賢宰相。そして韓信は「兵仙」とも称された将軍。彼らを使いこなしたことが、天下取りの理由だったというのです。これを現代のビジネスに置き換えてみると、次のような感じになります。

功なり名を遂げた社長が、「わたし自身は何もできなかったが、素晴らしい社員を使いこなして、会社を上場させ、業界トップになれた」と述懐し、一同に感謝する──。

この劉邦の故事が残した教訓とは、

「自分が傑物であるというより、傑物たちを使い込なす人物」がリーダーでないと組織としての総合力が発揮できない、というものでした。

一方で、項羽の方もこんな述懐を死の間際に残しています。

「兵をあげてから8年、わしは70余りもの戦闘に加わり、無敵の強さを誇っていまだ敗北したことがない。だから天下の覇権も握ったのだ。そんなわしが、これほど苦しむのは、天がわしを滅ぼそうとしているからなのだ」

こちらもビジネスでたとえるなら、次のような感じでしょうか。待遇をケチって優秀な人材に逃げられ、会社を倒産に追い込んだ元社長が、その原因についてこう語るのです。

「わしは営業をやらせれば、誰にも負けなかった、それなのに倒産したのは銀行や景気のせいに違いない」──。

結局、いかに自分に実力があろうと、優秀な部下を組織化し、総合力を発揮できなければ、徒手空拳に終わってしまうのです。

 

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