<<看護師かつ、真言宗の僧侶である玉置妙憂さん。もともとは看護学校で教鞭を取っていた玉置さん。カメラマンだった夫のがんが再発、そしてその死を看取った。その経験から仏門を志し現在に至っている。
看護師でもある女性僧侶として“医療と宗教"どちらにも偏らない「人生をしっかり太く生きる」そのメッセージは多くの人の感銘を集めている。
ここでは、著書『困ったら、やめる。迷ったら、離れる。』から、玉置さんが僧侶を志すきっかけとその心情を記した一節を紹介する。>>
※本稿は玉置妙憂著『困ったら、やめる。迷ったら、離れる。』(大和出版刊)より一部抜粋・編集したものです。
「長男の専属の医師になる」と決意した看護師に待ち受けていた夫の死
かつて私は、法律事務所に勤める事務員でした。
しかし、生まれた長男が重度のアレルギー症状に苦しんでいる姿を見て、「息子専属の看護師になる」と決意。看護師の免許を取得しました。その後、長男の症状が落ち着いてからは、看護師として病院で働くようになりました。
そうこうするうちに、フリーカメラマンだった夫が大腸ガンを発症。初発の時こそ入院してきちんと治療を受けた夫でしたが、数年後に再発と転移が判明した時には、「積極的な治療はせず、家にいる」という道を選んだのです。
当時の私は、その選択を「家族への愛がない」としか思えず、ずいぶんと言い争いもしました。
でも、結局は自分の人生のデザインをしっかりと持っていた夫の意志を尊重し、最期の時間を、今度は夫専属の看護師として家で支えることになりました。
その約一年後、夫は他界。
医療の介入を極力抑えたその体は「ほどよくドライ」に枯れていて、いわゆるエンゼルケアなどを必要としない、潔く美しい死にざまだったことを、八年経過したいまでもよく覚えています。
夫が亡くなってからしばらくは、看護学校に通う長男とまだ小学生の次男と三人で、スケジュールを合わせてはテーマパークへ月に何度も出かけたり、毎日のように花屋に通ってたくさんの花を買ったり、とにかく心のままに過ごしていました。
おそらくその頃の私は、外面は冷静に見えていても本当は辛くて、悲しくて、そんな気持ちを持て余し、困り果て、これから息子ふたりとどう生きていけばよいのか迷っていたのだと思います。
テーマパークやたくさんの花は、ひと言でいえば、現実逃避だったのでしょう。
自身の経験から見出した「生きやすくなるコツ」
「そろそろ社会復帰しなくては……」と思ったのは、それから三か月後、夫の納骨をすませてからのことでした。
しかしその時、私の心の中にはなぜか、「仏教に帰依したい」という思いが湧き起こってきたのです。
いまでも、明確な理由は見つかっていません。ただ、夫を看取った体験は、何らかの形で影響しているのかもしれません。
そしてもうひとつ。
夫が逝った後の三か月間、現実逃避をして過ごした日々が、後押しをしてくれたような気もしています。
あの時、自分自身の困り果て迷う気持ちにフタをして、闇雲に毎日の生活に向かい続けていたら、私の中に「仏教を勉強したい」という気持ちは湧いてこなかったかもしれません。
人生には、ときには自分を甘やかして心のガス抜きをする時間も必要なのです。
「困ったら、やめる。迷ったら、離れる。」
これが、生きやすくなるコツではないかと思っています。
その後、家族と職場に出家を宣言して高野山真言宗にて修行を積み、私は僧侶になりました。現在は、看護師としてクリニックに勤務する傍ら、僧侶としてスピリチュアルケア活動を行っています。