<<看護師かつ、真言宗の僧侶である玉置妙憂さん。もともとは看護学校で教鞭を取っていた玉置さん。カメラマンだった夫のがんが再発、そしてその死を看取った。その経験から仏門を志し現在に至っている。
玉置さんの夫はがん治療を拒否し、「自然死(しぜんし)」を選んだ。「あれほど美しい死にざまを、看護師として見たことがなかった」と玉置さんは語る。
著書『まずは、あなたのコップを満たしましょう』から、夫の最期、残された妻と子の心情、その後の家族の変化、介護に苦しむすべての人へのメッセージを記した一節を紹介する。>>
※本稿は玉置妙憂著『まずは、あなたのコップを満たしましょう』(飛鳥新社刊)より一部抜粋・編集したものです
看護師歴20年でも初体験だった「美しすぎる夫の死にざま」
夫の徘徊が始まってから、大きな子どもがまるでひとり増えたような感覚で、日々のあわただしさは増し、ドタバタの毎日でした。けれども、着実に別れのときは迫っていました。
いよいよ旅立ちまで1か月という時期。そのころ、出てきた悩みは「排泄」でした。夫はいよいよ動けなくなってからも「紙オムツは嫌だ」と言う人でした(最後の最後は、喧嘩ずくで紙オムツにしてもらいました)。
夫も私に気を遣うのでしょう、彼は独力でトイレに行きたがります。少し目を離したすきに、ひとりで壁伝いに行こうとするのです。
たいてい途中で私が気づいて介助をするのでいいものの、真夜中など何度かひとりでトイレで転んでいることもあり、何度もヒヤッとさせられました。
ある晩、不思議なことが起こりました。
「今日も、絶対にひとりで行かないでね」
と彼に言いながら、隣の部屋の布団に私が入ったあと。彼の寝ている部屋の引き戸が「ガガガガガッ」と開くような大きな音がしたのです。その引き戸は、私の部屋に面したほうではなく、トイレのほうに面したものでした。
(あら、またひとりでトイレに行くつもりかしら……)
私はいったん布団から起きました。すると、彼の「ハァハァ」という苦しそうな息遣いが聞こえてきたのです。
普段であれば「また、ひとりでトイレに行こうとして!」などと、夫の介助に飛び出すところでしたが、そのときはなぜか「ひとりで行ってもらおう」という気持ちになりました。
「また転んでもらって、痛い目にあえば、もうりてひとりでは行かなくなるだろう」という計算が働いたのです。私は息をこらして、耳をすまし、しばらくじっとしていました。すると、夫の苦しそうな息は、すうっと消えていったのです。
心配になって夫の部屋の戸を開けると……。
夫の部屋のトイレのほうに向かう引き戸は、閉まったまま。そして夫の体は「おやすみ」と言ったときと同じ体勢で、掛け布団も首までかかったまま。でも私はその数分前に、引き戸が開いたような大きな音を間違いなく聞いています。
狐につままれたような気持ちで夜明けを待ち、急いで母に電話をしました。すると、母にこう即答されてしまったのです。
「それは魂がもう抜けちゃったんだわ! もうそんなに長くないわよぉ。覚悟して、いろいろ準備しなさい」
わが母ながら、ズバズバと遠慮のない失礼な言い方だとあきれました。
でも、さすが年の功と言うべきでしょう。夫が旅立ったのは、大きな物音がした日の翌日の午前2時ごろだったのです。「魂がもう抜けちゃった」という母の指摘のとおりでした。