撮影:松島奈巳
2019年11月24日の最終公演をもって宝塚歌劇を退団引退した明日海りお。宝塚歌劇100周年の2014年から、宝塚を代表するトップスターとして華やかに宝塚歌劇を牽引してきたその魅力とは何か。
89期の仲間たちと歩んできた時代(宝塚音楽学校入学前から宝塚歌劇団退団まで)を振り返り、トップスターの魅力を徹底分析、稀代のタカラジュンヌの秘密に迫る。まずは、2002年まで時間を戻してみたい。
※本稿は松島奈巳著『宝塚歌劇 明日海りお論』(東京堂出版刊)より一部抜粋・編集したものです。
「青田」の頃から言語化できない魅力でファンを獲得していた
1枚の写真がある。
兵庫県の宝塚大劇場の正面入り口前に、色とりどりの着物をまとったうら若き令嬢が49人。
タスキには、「社会を明るくする運動」と書かれている。撮影は、2002年5月。「すみれ売り」の記念写真だ。
1年間の予科時代を終えた音楽学校本科生が、ファンの前に化粧を施した和装でお披露目する晴れ舞台となる。ひっつめ髪に制服姿だった音楽学校生が美しく着飾ってお目見えするだけに、宝塚市内のホテルは早々に予約でいっぱいになる。
この日を待ちかねた来場者は、ピピっときた音楽学校生の募金箱に寄付金をいれて、「お名前は?」。のちほど音楽学校寮宛に手紙を出して、そのまま十余年の交流が続くってことも珍しくなかった。
ある募金箱には、長蛇の列。こちらの募金箱は閑散として。
音楽学校生にとって、観客に評価を下されるシビアな初体験ともなる。
2002年5月に集ったのは、89期。
横5列に並んだうち、後方から2列目、向かって右側から2番目と3番目に並んでいるのは。
漆黒に近い濃紺に蝶の模様があしらわれた着物姿は、雪組の望海風斗(のぞみふうと)。
その隣で水色の着物を身にまとっているのが、花組の明日海りお(あすみりお)。
17年も前のことだ。
望海は押し出しが良く、いかにも大型男役という雰囲気を漂わせていた。
一方の明日海は、眉目秀麗の極みとでも表現したら良いだろうか。実年齢でいえば高校2年生相当であり、美しさと幼さが絶妙のバランスで同居していた。
2人の前列には、夢咲ねね(ゆめさきねね)の姿が見える。落ちついた紫系の着物で、当時は男役と娘役に揺れていた期間だったのだろうか、首にかかるほど髪の毛は伸びている。
明日海の列の下手には、凪七瑠海(なぎなるうみ)、蓮城まこと(れんじょうまこと)、他にも、美弥るりか(みやるりか)、七海ひろき(ななみひろき)が笑顔をたたえている。
初舞台から3年ほどたったころ、驚いたことがある。同好の士と、わいわい食事をしている時のこと。若手の話題になり、
「まだ青田買いだけど、月組の明日海りお。気になる存在なんだよね」
筆者がこう話したところ、同席のひとりが首をおおきく横に振りながら、
「青田買い? いやいやいや。とんでもない。もう人気沸騰。刈りいれ時だよ」
最新情報をアップデイトしていない筆者にとっては、意外だった。
スター候補生であることは間違いないが、それほどファンがついている時期ではないし、舞台での成果もまだないと思っていたからだ。
ただし初期ファンの見立ては、正しかった。
着実に抜擢されて、期待に応える成果を残し続けてきた。