なぜあれだけの人気を博したのか?
『宝塚歌劇 明日海りお論 89期と歩んできた時代』の執筆は、「明日海りおの魅力って、なんだ?」という論考からスタートしている。
花組トップの前任者・蘭寿とむ(らんじゅとむ)だったら、すべての学年で首席をつづけた安定感ある演技スタイル、加えて「濃さ」と即答できる。
その前任である真飛聖(まとぶせい)なら、すっきりとした容貌とシャープなダンス力。3代前の春野寿美礼(はるのすみれ)は、抜群の歌唱力とロックスターのような都会的なビジュアル。
トップをきわめるスターには、パっと浮かぶ魅力がある。
だが明日海りおは、一筋縄ではいかない。
美しい。
品がある。
演技、ダンス、歌と三拍子そろっている。
いずれも「たしかに」なのだが、それだけであれだけの人気を博せただろうか。
むしろ。
あれよあれよという間に、スター街道を驀進(ばくしん)してきたという印象が強い。
演出家やプロデューサーはキラリ輝く才能を見出したであろうし、ファンも他のタカラジェンヌにはない魅力に惚れこんだのだろう。
ではその「才能」「魅力」とは、何なのか?
他のトップスターについては比較的容易に言語化できそうなのだが、明日海りおの場合は多岐にわたっている。そこを考察してみたい。
もうひとつ。
2000年以降、宝塚歌劇は変容してきている。
どこがどう変わってきたのか。明日海りおならびに89期を例にとると、わかりやすく説明できそうな気がしている。その意味で本論は、明日海りおというタカラジェンヌ論であり、2000年以降の私的「宝塚歌劇」通史でもある。
まずは、89期の「すみれ売り」から時計の針を2年ほど戻してみる。
変容する宝塚、震災による決断が未来のトップスターの前に道をつくった
西暦2000年。平成では、12年。
20世紀最後の年、「ミレニアム」ということばが流行し、宝塚歌劇でもショー『ミレニアム・チャレンジャー!』が宙組大劇場公演を飾った。
当時の宝塚歌劇を取り巻く環境は、どうだったか?
人気が沸騰していた。狭く、深く。
1998年に宙組が新設され、計5組による通年公演が可能となった。同じ年、東京宝塚劇場では老朽化による建て替えが始まった。その間は、有楽町駅そばに仮設されたTAKARAZUKA1000days劇場で公演を行っており、2000年12月まで続いた。
当時の男役トップスターは、次の通り。
● 花組 愛華 みれ (あいかみれ:鹿児島県出身 71期)
● 月組 真琴つばさ(まことつばさ:東京都出身 71期)
● 雪組 轟悠 (とどろきゆう:熊本県出身 71期)
● 星組 稔幸 (みのるこう:神奈川県出身 71期)
● 宙組 姿月あさと(しづきあさと:大阪市出身 73期)
4人までが同期。「四天王」と呼びならわされ、それぞれ個性が際立っていた。
愛華は、きらきらと輝く健康的な美貌で人気を博した。
真琴は、歌劇団きってのエンターテイナー。
轟は、歌唱力に定評がある実力派。
稔は、都会的でキリっとした正統派。
ビジュアル、トーク、歌、立ち姿と、はっきりとした個性があった。
そんな当時のトップスターにあって、チケットの取りにくさでも、退団時のフィーバーにおいても、注目度においても群を抜いていたのが姿月あさとだった。
2000年12月、夕方の民放の情報系番組では、姿月あさとの退団の模様を1000days劇場からの中継をまじえて延々と報じた。千秋楽のチケットについた値段は、30万円とも。
2000年以前には、宝塚歌劇愛好の士は限られていた。首都圏・関西圏出身で、家族親族に宝塚ファンがいる代々続く系譜だ。限られた者たちだけが、宝塚愛好の門をくぐる。
しかし2000年以降、そんな状況が徐々に変わっていった。
その一例がビデオだ。公演ビデオの商品化には、1995年の阪神・淡路大震災が関係している。
《昼間は復興に時間を必要とされている。そんな疲労を少しでも和らげることは出来ないものだろうか。仕事が終わった夜にでも一人で舞台のビデオを見ることで、明日の活力が生まれないだろうか。》
こう回想するのは、演出家の植田紳爾 (元・宝塚歌劇団理事長)。当時は、宝塚歌劇関連事業をつかさどる宝塚クリエイティブアーツの社長をつとめていた。
《舞台のビデオ化は、過去に『ベルサイユのばら』を記念ビデオにしたほかは発売を見合わせていた。「そんなことをしたら、直接見にくる観客が減少する」という反対の意見で、いつも挫折してきた歴史がある。しかし、この地震での危機感や使命感などが、こんな時こそナマの舞台を見に来ることのできない方々のためにと、決断を促してくれた。(中略)もしあの地震が起こらなければ、その決断にはもう少し時間が必要になっていただろう。》 (『宝塚 百年の夢』文春新書)
この英断がなければ。
男役スター明日海りおは、誕生していなかったかも知れない。
周知のエピソードであろうが、順を追って説明しよう。