見た目重視で栄養のバランスは後回しだった貴族の食事
お膳にならぶ料理を食べる順番が定まり、食事の作法が生まれたのもこの時代です。食材には格があり、貴族らは庶民的な食材には箸をつけませんでした。
しかし貴族も人の子、和泉式部、一説によると紫式部は、貴族でありながらイワシが好物でした。イワシはいやしい魚とされていたので、公然と食べるわけにはいきません。
夫の外出中にこっそり食べていたところ、帰ってきた夫に見つかり、たしなめられてしまったという話があります。イワシを焼けば煙とにおいが残りますから、隠すのは難しかったでしょう。
イワシといえば、節分の日にヒイラギの枝にイワシの頭をさして門や軒下に飾る風習は、平安時代に始まったとされています。イワシのにおいと柊のトゲに邪気をはらう力があると考えられていたようです。
贅の限りを尽くした貴族の食事は、しかしながら、盛り合わせの美しさと品数を重視するあまり、栄養のバランスは後回しでした。
全国各地の珍しい食材を使おうとすれば、魚や貝は保存の利く干物や塩漬けなどの加工品が中心になります。
肉食禁止令を厳守したことで動物性蛋白質と脂質の摂取量が極端に少なく、見た目とは裏腹に貴族の食事は不健康なものでした。丈夫で長生きしたかったら、イワシでも鯖でも遠慮なく食べるくらいのほうがよかったのです。
そこに運動不足が拍車をかけました。とりわけ、一日の大半を屋内で静かに過ごしていた女性は体力がなく、このことが幼い子どもの死亡率の上昇を招いたといわれています。
栄華を極めた藤原道長が、日本最古の糖尿病患者だった!?
糖尿病で死亡したと推測されているのが、摂政、太政大臣を歴任し、栄華をきわめた藤原道長です。記録に残っているなかでは日本最古の糖尿病患者となるようで、1994年に日本で第15回国際糖尿病会議が開催された折には、道長の肖像画を描いた記念切手が発行されています。
1018年、三人の娘を天皇の后にして朝廷内で確固たる地位を築いた道長は、「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」と詠みました。52歳のときでした。
当時の貴族たちにもてはやされたのが、大陸から伝わった蘇(そ)という食べものです。牛乳を根気よく煮詰めて作るため、手間がかかる貴重品でした。
古代のチーズと表現することがありますが、再現されたものを試食したところ、発酵はしておらず、ほろほろくずれるキャラメルのようでした。
かすかな甘味と塩味があり、濃厚で、少し食べるだけでおなかがふくれます。それもそのはず、蘇100グラムで400キロカロリー以上あり、これはベーコンのカロリーに匹敵します。
記録によると道長は蘇に蜜をかけて食べていました。太政大臣の位についたお祝いの宴では、蘇と甘栗を合わせた菓子を宮中からたまわっています。どちらもおいしそうですが、カロリーが気になります。
このころ道長は喉の渇きをしきりに訴えるようになっていました。本人も周囲も気づかぬうちに糖尿病を発症していたのです。道長の親族には他にも糖尿病と考えられる人が何人もいました。
病気の進行にともなって視力が低下し、その年の秋には人の顔を見分けられなくなったと記載されています。わずか2ヵ月で太政大臣を辞任すると、10年にわたって苦しんだのちに、みずから建立した法成寺で亡くなりました。