「疫病の流行は政治が悪いから」感染症に苦しめられた日本人の古代史
2020年03月16日 公開 2024年12月16日 更新
新型コロナウイルス禍が日本全体に大きな影響を及ぼし、世界各国でも感染者を急増させ、感染症の恐ろしさを示している。
医学の視点から、日本人の体質を踏まえた予防医療を考え続ける、医師で著述家の奥田昌子氏は著書『日本人の病気と食の歴史』にて、感染症に苦しめられる歴史はすでに縄文時代からあったことを示している。
本稿では同書より、日本で感染症が流行しそれにより政治に大きな影響を与えた歴史に触れた一節を紹介する。
※本稿は奥田昌子著『日本人の病気と食の歴史』(ベストセラーズ刊)より一部抜粋・編集したものです。
稲作とともに日本に侵入した感染症
大陸からもたらされたのは良いことばかりではありませんでした。それまで日本列島になかった病気が入ってきたのです。
その代表が結核で、縄文時代には存在せず、弥生時代に稲作とともに日本に侵入したとされています。
進行すると背骨に感染が広がって骨の変形が起きるため、発掘された骨を見て結核にかかっていたとわかることがあります。日本で確認されたなかでもっとも古いのは、弥生時代後期にあたる約2000年前の遺跡から出土した骨です。
最近の研究で、大陸の長江流域にある約5000年前の遺跡から、結核に感染したあとのある東アジア最古の骨が発見されました。
日本だけでなく朝鮮半島やベトナムでも、稲作が伝わった時期に結核が侵入したと考えられており、この遺跡の周辺から稲作と結核が一緒に広がっていった可能性が指摘されています。
続く古墳時代の遺跡からは同様の骨が多数見つかっており、弥生時代に伝わった結核が、この時期までに日本に根づいたと考えられます。
古墳時代にあたる3世紀から7世紀にかけて東アジアは気温が低く、雨の多い気候が続いたようです。このことも結核の蔓延に手を貸したかもしれません。
アメリカ人の5倍!? 結核を発症しやすいと言われる日本人
日本人は同じように結核菌と接触しても、他の人種より結核を発症しやすい遺伝子を持つ人が多いと考えられています。
医学が進んだ現代でも、日本は結核の発症率がアメリカの5倍高く、毎年約1万8,000人があらたに結核と診断され、約1,900人が命を落としています。弥生時代のある日、日本に入ってきた結核菌が、今も私たちを脅かしているのです。
稲作の普及にともなう、もう一つの問題は、水田を作るのに適した湿地の周辺に人々が移住したことで起こりました。水田や湿地に住む小魚、貝、蚊などを介して寄生虫に感染しやすくなったのです。
日本を含むアジアで古代から広く発生していたのが日本住血吸虫症でした。病名に日本とついているのは、明治時代に日本の研究者が住血吸虫を発見し、この虫が病気の原因だと突き止めたからです。
住血吸虫の幼虫は田んぼや小川の浅瀬に住む小さな貝に寄生して、暖かくなると水中に泳ぎ出し、水に入った人や動物の皮膚から侵入します。感染が長く続くと肝臓に卵の塊ができ、肝硬変になって死亡するおそろしい病気で、近年まで無数の人を苦しめました。
20世紀になって、問題となる貝の駆除に国をあげて取り組んだ結果、1,970年代後半以降は日本国内でのあらたな発生はありません。けれどもアジアの一部の地域ではいまだに感染が見られるため、旅行の際は注意が必要です。