「もう歳だから…」向上欲を失った人が行きつく成れの果て
2020年08月08日 公開 2024年12月16日 更新
(写真提供=公益財団法人天風会)
《新型コロナウイルスがもたらした不安やおそれによって、精神や健康に不調をきたし、気持ちが後ろ向きになる者もいるはずだ。稀代の思想家・中村天風は、「健康を保つには、心を消極的にさせないこと」と説く。
中村天風は1876年に生まれ、大病を克服し実業界で活躍するも、1919年に突如、社会的地位や財産を放棄。真に生きがいのある人生を送るための実践哲学についての講演活動を開始する。
その「天風哲学」は政財界の有力者から大谷翔平のようなプロアスリートまで多くの人から支持され、現代に至ってもその哲学を探求する人が後を絶たない。もし中村天風がこの時代に生きていても、その哲学は揺らぐことはないだろう。そして、心を煩う人の支えになっていたに違いない。
本稿では、新刊書籍『力の結晶 中村天風瞑想録』より、中村天風が「病に打ち克つ哲学真理」について語った一節を紹介する。》
※本稿は『力の結晶 中村天風瞑想録』(中村天風、PHP研究所刊)より、一部抜粋・編集したものです
年齢や境遇を超越して創造能力を活用する
一体、人々の多くが年齢というものを非常に重大に考えるのは、自己向上の意欲が消えてきた自分を、直接間接に感じた場合に、その心の中に知らずしらず出てくる一つの愚痴みたいな気持ちなんだね。
「もう私もいくついくつだから」「余命いくばくもないから、今さら向上しても」なんて変な理屈をつけて、漫然とその日その日をさながら酔生夢死的に生きる。
これじゃ駄目だ。
生きている限りは死んでないんだから、死んではない限りは生きているんだから。
私、と言うとおかしいが、まず無論当然のことですけれど、毎日必ず私は、今ロシア語を一生懸命勉強しているんだが、必ず十語だけは、今日新しい言葉を覚えるというのを毎日の、今私、デイリーレッスン(日課)にしている。
この間も東京で私がテープレコーダーでもってロシア語の会話を一人で聴いていたら、そこへ森田博士が入ってきて、
「うわっ、驚いた、先生勉強ですか」と言うから、
「勉強よ」
「うわー、先生の年になってからにこんな勉強している人初めて見た」と言うから、
「そんなに珍しがるなよ。広い世間には俺みたいな人間だっているわい」と。
私は何も自分が偉くなろうがために一生懸命勉強しているんじゃないんだ。生きている限りは、自分の広き意味における人生の視野を完全に拡大することが自己に対する義務だとこう思っているから。
何も私は誰にも頼まれないのに、急いで焼き場の扉を開きに行くような人生生活をする必要はないと思っているから。
とにかく、今も言ってるとおり、かるがゆえに生きている間は、一日一分といえども完全に生きようとする意念を、現実的に実行に移していかなきゃいけないんだよ。
ただ、ああなりたいこうなりたいだけは誰だって持っているんだから。そいつを実行に移していかなきゃいけないんだよ。
そこへいくと、あなた方は実にいかになすべきかを教わっているんだから。
そして、万物の霊長として生みつけられた造物主への忠実な義務が全うできるように、もう立派に天風会員としてその資格が与えられていると同時に、理解が徹底しているんだからね。
だから、いくつになっても人間は自分の年齢なんかに構っていちゃ駄目だよ。
人生はその人がその現象界にいた年月の長さによるんじゃなくして、その人の生命に対する気分が、とても大きな関係があるんだから。
人間は年齢を超越して、それから現在の境遇を超越して、始終自己向上を志し、生命本来の面目である創造能力を活用しなきゃ駄目だよ。
そうすりゃ、いつも頑健矍鑠(がんけんがくしゃく)として、人並み以上の若さで、生命の年限を潑剌颯爽として重ねていけるんだよ。
そして、そんな気持ちで生きていくと、自分でもおもしろいほど自己の向上というものが、別にたいした努力をしなくても、これはもうね、目覚ましい進歩を自分の生命の中に見出すぜ。
見出し得るほど、その人のしている行いも言葉も、世の中のためにどんなより良いことになっているかわからないという結果さえ来る。