「もう歳だから…」向上欲を失った人が行きつく成れの果て
2020年08月08日 公開 2022年02月07日 更新
自己向上という正しい希望を心の中に輝かせる
だから人間として生まれながら、働く気持ちや努力の気分が薄くなったり消えたりするやつは、結局要するに戸籍の上から自分を抹殺する努力をしているやつなんだな。
また、そういう人生はみるみるそれ自身を憔悴せしめちまう。何しろ命を支える活力の受け入れ口を自分でふさいでしまうのと同様の結果が来るからだ。
だから、人間は年じゃないということを忘れちゃいかんぞ。
特に病を持つ人や体の弱い人は、病をいたずらに気にしないこと。その苦痛に悶えるようなバカなことはしないこと。
一番考えなきゃならないことは、生きている証拠だと思え。
死んでいる者には患う病はないんだから。
その証拠には裏のお墓へ行ってみろ、お墓が頭痛がするとか腹が痛いとか言わないだろう。
だから、なにかなしの、そこに気分を感じたら生きている証拠だと思え。
そして同時に、生きている以上は生き甲斐のある状態で生きよう。こんな苦痛や、こんなこと
ぐらいでもってへこたれて何になるというんだ、これを乗り越えていくところに俺の生き甲斐があるんだ、とこういうふうに考えてごらん。
ちょいと考えるてえと、特にこの神経過敏な医者なんかから考えると、無鉄砲なように感じるかもしれないけれども、その無鉄砲に感じるものの中に、生命の本当の強さが働きかけるという原動力的なものがあるんだよ。