運動は体力づくりだけではなく、脳にもいい影響を与えるといいます。元オックスフォード大学研究員で、脳と糖の専門家である下村健寿さんは著書『糖毒脳』にて、運動には海馬を蘇らせる効果があると述べています。脳に働きかけるには、どのような運動が効果的なのか。同書よりご紹介します。
※本稿は、下村健寿著『糖毒脳』(ダイヤモンド社)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
運動をすると「海馬」が甦る理由
運動には「攻め」の効果もあります。減ってしまった脳神経を増やすことにもつながるのです。
人間の脳は海馬でのみ、新たな神経細胞が発生するとわかっています。この働きを促してくれる物質が「脳由来神経栄養因子(BDNF)」です。
BDNFは「肥料」のようなものです。新たな神経細胞になる「タネ」が埋まっている肥沃な土壌である海馬に、BDNFという肥料をたっぷりとかけることで、新たな神経細胞が芽生えて成長していきます。これが、認知症になりにくい脳をつくることにもつながっています。
さらにBDNFには細胞の新生だけでなく、脳の中で生き残っている神経細胞同士の「つながり(シナプス)」を増やしたり、そのつながりを強化したりする作用もあります。残っている神経細胞同士の情報伝達の効率を高める「チューンアップ」も行っているのです。先述のとおり、神経細胞の数が減っていても情報伝達の効率が飛躍的に上がれば、脳全体のパフォーマンスは向上します。
この奇跡のような役割を果たすBDNFを作るために必要なのが、「運動」です。近年の研究から、運動をすると筋肉から「ミオカイン」と呼ばれる一連の生理活性物質が分泌されることが明らかになりました。
ミオカインは脂肪や肝臓、膵臓など様々な臓器に作用して代謝を調節したり、全身の炎症を抑制したりと、体にとって非常に良い効果をもたらすことがわかっています。このミオカインが脳にも直接作用し、脳の中でBDNFの発現を促すのです。
運動は、脳の容量低下に対抗するためだけでなく、新しい脳細胞を作る上でも非常に効果的だということです。
ひとつの事例として、私の家系の話をしましょう。私の家系は皆、長寿なのですが、認知症を発症する人も少なくありません。むしろ認知症家系と言ってもいいかもしれません。そして皆、戦中から戦後にかけての食糧難の時代に幼少期を過ごしたこともあって、認知症に悩む親戚の多くは体力があまりなく、運動が苦手でした。
しかし1人だけ例外がいました。叔父です。叔父だけはスポーツ好きで、若い頃からスキーや水泳に熱心に取り組んでいました。叔父は身体的には病気になりましたが、認知症に侵されることはなく、頭だけは最晩年まで冴えていました。因果関係を証明するのは難しいのですが、運動が認知症対策に有効であることを示すひとつの例だと信じています。
脂肪を減らすための「シンプルすぎる」習慣
私も将来のために運動を欠かさないようにしています。いまは平日の朝に4キロ、休日は8キロ、欠かさず走るようにしています。
「そんなに走れない......」と、落ち込む必要はありません。私の運動量は、はっきり言って過剰です。運動が好きだからやっているだけであって、認知症予防にここまでの運動は必要ありません。
皆さんにおすすめしたい運動内容は、拍子抜けするほど簡単なものです。それは、ウォーキングです。息が軽く切れる程度の早足で、1日30分程度、週に合計で150分以上歩く。これが、医学研究に基づくアルツハイマー病の予防に有効とされる運動量です。
努力や根性は一切いりません。アスリートを目指すのではないのですから、心から楽しんで運動してください。通勤時に1駅分を歩いて、移り変わる景色を楽しみながら散歩する。週末に気の合う友人や家族と一緒に散歩する。そんな楽しい時間として過ごしてみてください。楽しい運動であるからこそ、長期間にわたって続けやすくもなります。
どの「筋肉」を意識すると運動の効果が激増するのか
アルツハイマー病を予防する手段としてウォーキングを提案しているのは、なにも、それがラクな方法だからではありません。ウォーキングこそ、最も効果的な運動なのです。その秘密は「ある筋肉」にあります。
2022年にアメリカのヒューストン大学の研究者たちが、非常に興味深い論文を発表しました。彼らが注目したのは「ふくらはぎ」の機能です。
ふくらはぎの筋肉は、腓腹筋(ひふくきん)とヒラメ筋という二種類の筋肉の総称である下腿三頭筋(かたいさんとうきん)から構成されています。このなかでもとくに重要なのが、腓腹筋の下に隠れているヒラメ筋です。このヒラメ筋こそ、アルツハイマー病予防の「鍵を握る筋肉」です。
ヒラメ筋は、歩いていてかかとが地面から離れる瞬間、つまりつま先で地面を蹴り出すときに使う筋肉です。文字どおりその外見が魚のヒラメに似ていることから名づけられました。
ヒューストン大学の研究者たちは、ヒラメ筋が全身の筋肉のなかで最も効率的に糖を消費できることを発見しました。インスリンの力を借りずにどんどん糖を消費してくれる「スーパー筋肉」なのです。
どうやらヒラメ筋には他の筋肉に比べて、糖を取り込むためのドア(GLUT4)がもともと多く存在しているようです。人類が二足歩行を始めた太古の昔から、歩きやすく、効率的にエネルギーを使えるための筋肉として進化してきたのでしょう。
また、ヒラメ筋は持久力に優れた「遅筋線維(ちきんせんい)」というタイプの筋肉でできているため、長時間歩くのに最も適した筋肉であるとも言えます。
ヒューストン大学の研究成果は、このヒラメ筋を使った運動が、血糖値を下げるのに非常に効果的であることを報告しています。つまり、「歩く」ことです。これが、皆さんにウォーキングをすすめる理由です。