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山口多聞・稀代の提督が示した「勝利の要諦」とは

2012年05月24日 公開

山内昌之(歴史学者)

『歴史街道』2012年6月号より

「兵は拙速を尊ぶ」の言葉通り、戦いにおいて勝敗を分けるのはスピードである。時間をかけて万全の備えをしたとしても、敵に先制されればすべてが水の泡なのだ。また、「拙速」は時に犠牲を伴う。その犠牲を恐れ、平時のマニュアルどおりに進めて成功できるほど、実践は甘くない。指揮官には覚悟と責任が問われるのだ。アメリカ海軍にも畏怖される存在であったという日本海軍の山口多門少将が今、「戦いの勝ち方」を忘れた日本人に語りかけるものは何か。
 

身をもって示した「勝利の要諦」

 水雷畑にいた山口が航空畑へと転じるのは昭和15年(1940)のことです。翌年、第二航空戦隊司令官として大戦に突入。そして昭和17年6月4日、運命のミッドウェー海戦を迎えました。

 冒頭で紹介した通り、山口の鋭い意見具申も空しく、南雲機動部隊は瞬く間に3空母を失い、山口は飛龍1隻で敵空母3隻と相対するという、絶体絶命の状況に陥ります。

 しかし、山口はこの修羅場において、即座に次のように言ってのけます。

 「我、今より航空戦の指揮を執る」

 通常の序列では、先任の第八戦隊司令官・阿部弘毅が南雲忠一から指揮を引き継ぐはずでした。しかし山口は、それをあえて顧慮せず、航空戦の指揮は自らが最適だと瞬時に判断し、弔い合戦を決断したのです。

 この時、山口は飛龍飛行隊長・友永丈市ら整列した航空隊員の盃に御神酒を注いで「一段とご苦労だが、全機激突の決意をもって、攻撃へ向かってくれ」という象徴的な訓示を述べています。そして山口の胸中を痛いほどに解っていた友永は、「手前ら、死んでも編隊を崩すんじゃねえぞ」という部下への言葉を残し、まさしく「決死の覚悟」で飛び立ち、見事敵空母ヨークタウンを大破し撃沈に導いたのです。

 山口はこうした勝負の局面において、あえて犠牲を伴うことを厭いませんでした。その姿勢は、南雲ら司令部と対照的です。司令部は山口から「即時発進」の意見具申を受けた際も、援護に付けるはずの零戦がミッドゥエー島攻撃に出払っているために、味方の艦攻・艦爆隊を単独で出撃させて、多大な被害に遭うことを恐れました。しかし、結果的には小の犠牲を恐れて逡巡したがために、決定的な大の敗北を喫したのです。

 実際には、犠牲を伴わない勝利などありえません。将棋を指す際に、駒を取られないで勝つことが不可能なのと同じで、シビアな命のやり取りの中で、ぎりぎりの計算をして勝利に導くことが指導者の責務なのです。もちろん人一倍に部下を想い、また部下からも慕われていた山口は、人道主義的感覚を十二分に持ち合わせていました。しかしいざ戦いとなれば、それらを封印しなければ勝利や目標に到達できない――山口は同時に、厳しい現実もしっかりと見据えていたのです。この透徹した覚悟こそが、淵田が称した「兵は拙速を尊ぶ」とともに、山口が身をもって示した「勝利の要諦」ではなかったでしょうか。

 さらに、山口はただ部下に死地に赴いてくれという、非情な訓示をしたわけではありません。同時に、次のようにも述べています。

 「司令官も、あとからいくぞ!」

 山口の心は、常に現場の部下たちとともにありました。部下に難題を押し付けるだけでなく、自らも厳しい現実を引き受ける指揮官だったのです。もちろん、訓練に次ぐ訓練で、指揮官の強烈な闘志は、末端にまで浸透していたでしょう。それにしても、山口がこの究極の場面において、決死の攻撃を命じることができ、部下たちも勇躍してそれに臨んだのは、山口自身が「自分も続く」という鮮烈な覚悟と責任感を、持ち合わせていたからに他なりません。

 結果、山口は攻撃隊がヨークタウンを撃破した後に、敵の攻撃を受けて大破した飛龍と運命をともにすることとなります。日本海軍にとって大きな不幸であったのは言うまでもありませんが、しかし、その潔い責任の取り方に、もはや語るべき言葉はありません。

 振り返れば、山口は実に「眩しい」人生を歩んだ男でした。屈託のない豪快な青年時代から、古武士の如き見事な最期まで、山口の人生は、どの部分を切り取っても眩しく見えます。その眩しさは、成長過程のなかで鍛錬を重ね、冷静な決断力や現実主義、敢闘精神を培い、そうして身につけた「勝利の要諦」を、時を過 <あやま> たずに見事に最大限発揮しえたからだと言えるでしょう。まさしく、「輝ける人生」を自らの力で実現させてみせたのです。翻って現代に目を向けると、時局は混迷を極めています。そんな時代だからこそ、いかにすればこの困難な歴史の局面を突破できるのか、眩しき提督が己の命と引き換えに示した「勝つための教訓」に、いま一度目を向けるべきではないでしょうか。

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