佐々木俊尚 ヴァーチャルの進化が企業にもたらす変革とは

「VR」は我々の仕事や生活にどんな影響を与えうるのか。テクノロジーについて豊富な知見を持つ作家・ジャーナリストの佐々木俊尚氏にうかがった。
2014年09月18日 公開
《PHP新書『幸福論Nothing to Lose』より》
2008年3月15日。待ちに待ったエキシビション・マッチ「ドリームマッチ2008」の舞台に私は立っていた。6カ月前から本格的な練習を重ねてきたのは、すべてこの日のためだ。
試合は、ナブラチロワとの8ゲームに始まり、グラフとの3セットマッチ。
コートに足を踏み入れた時、観客席がいっぱいのコロシアムを見渡して感激した。本当に有明コロシアムがいっぱいになるほどの人たちが楽しみにしてくれていたのかと思うと、嬉しくなった。
この時、私はグラフを、6-2、6-3のストレートで破っている。
現役時代、完璧な強さを誇ったグラフに私は憧れ、また尊敬の念を抱いていた。グラフは神様に選ばれた特別な才能をもった選手だと本当に信じていた。だから、引退から9年のブランクがあったところで、以前と変わらないプレイをするのだろうと、いつも心のどこかで思っていた。この日、有明のコートで実際に打ち合うまでは。
観衆の見守る中、半年間の徹底したトレーニングを経てコートに立った私は、グラフと打ち合いながらも「まさか?」の気持ちを終始ぬぐえなかった。いくらエキシビションとはいえ、これが本当に、女子シングルス1位の座を通算377週もの間守り、サイボーグのような強さで世界に君臨し続けたグラフのプレイなのだろうか?
しかし、ゲームを重ねるうちに気づかされた。グラフもまた、並々ならぬ努力の上に世界のトップに君臨し得た人だったのだ。孤独な頂点にあって私の何倍ものプレッシャーを受けながら、何年間も想像も及ばないような険しい道を、彼女はひとり走り抜けてきた。そしてテニスにおいて、もうすでにやるべきことはやり終えたのだ。
今の彼女は子育てと家庭が最優先。テニスへの情熱も闘争心も、現役の頃とはまったく違ったものになっている。それを表すかのように試合を前にしてグラフは言った。
「今、私は片時も子どもと離れたくないの。エキシビションが終わればすぐに帰る。一刻でも早く子どもに会いたいから」
試合後、本当に彼女はシャワーを浴びる時間も惜しんで空港へと向かったという。もはや、彼女のアイデンティティはテニスにはなくなっていたのだ。
このドリームマッチではもうひとりの主役、その時点で51歳のナブラチロワとも対戦することかできた。WTA最多優勝記録(シングルス167勝、ダブルス177勝)を誇るナブラチロワもまた、私の尊敬するプレイヤーであり、言わずと知れたスーパーな存在だ。
かつて、私はいつも「グラフとナブラチロワを足して2で割ったようなプレイをしたい」と思っていた。現役時代、ナブラチロワとは練習する機会が一度あったのみで、試合は一戦もしたことかなかった。そのため、彼女との対戦にも感無量のものを感じていた。
そのナブラチロワは、グラフとはまた対照的な人だった。テニスをきっぱりとやめて結婚し、妻として、毋として女性の幸せに生きるグラフ。引退とカムバックを繰り返し、シングルのまま49歳まで現役を続け、テニス一筋に生きるナブラチロワ。
私は自分がグラフ的な考えをもち、生き方をするものだとずっと思っていた。しかし、自分でも想定外のことに、結婚してからその考えが変わった。
今の私にはナブラチロワのすごさ、素晴らしさがよくわかる。年齢を感じさせないパワーをもち続け、周囲の人たちに多大な影響を与え続ける彼女。そのためにどれほど多くの努力を今も続けているか。私は自分もトレーニングを始めることで、改めてナブラチロワの食事やトレーニングの徹底した自己管理ぶりに頭の下がる思いがした。加えてライフスタイルや信条における明確な姿勢。何よりテニスに対する変わらぬ想い……。
グラフとナブラチロワという対照的な、しかし自分の希求するものに対して妥協することを知らない、尊敬するふたりの生き方を垣間見ることともなった至福の時。それは終わってしまえばあっという間の出来事でもあった。
ちなみにこの日、私はナブラチロワにも8-6で勝つことかできた。そしてこの夢のような体験は、私にとってさらに新たな挑戦へのスタートとなったのだ。
初めはこのイベント、夢のような対戦を楽しむつもりだった。
ところが、知らず知らず、私の胸にまったく違う想いか芽生えていた。勝ちたい。この試合に勝ちたい。勝負にこだわっている自分に気づきながら、そのこと自体さえ、楽しいと感じていた。そうだ、私はテニスで真剣勝負がしたいのだ。
コートを走り回りながら、そしてボールを打ち返すたびに、その想いは確実に膨らんでいった。しかし勝負の世界に身を置くことは、同時にもう一方の幸せの実現可能性を、また確実に小さくするものでもあった。
37歳という年齢からしても、子どもを授かるのは、さらに厳しいものになるだろう。残されている時間が、少ない。ただでさえ、35歳と40歳ではずいぶん違うと言われる。1年の重みは大きい。それを今この年齢で、ましてや当然身体に負担がかかるような、また逆戻りするような方向へと自ら進んでしまうのだ。
長い時間をかけて悩み、考えた。子どもか欲しい。その思いに変わりはなかった。しかし日を追うにつれてテニスへの情熱が次第に大きくなっていった。子どもか、テニスか――。1カ月もの間、答えを出せずにいた。
そんな私を見て、マイクは言った。
「ぼくは公子と結婚した。子どもと結婚したわけじゃない。公子か一番大事だ。子どものために、自分のしたいことをあきらめようというのは間違っていると思う」
その言葉で、私は呪縛から解き放たれた。「とりあえず今は中断」というかたちをとってもいいのではないか。まずは私がやりたいと思うことを優先して、やっていけばいいのではないかという結論に落ち着いた。
今でも自分の子どもは欲しい。でも、テニスは私に必要不可欠なものだ。こんな人生を味わえる人は世界中見渡してもそうはいないだろう。だから戦い続けられるかぎりは、やってもいいのかもしれない、そう思えるようになった。
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