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「たこ焼き」と「明石焼き」と「ラヂオ焼き」

2015年10月14日 公開
2023年03月09日 更新

『歴史街道』編集部

“粉もの”文化の双璧と言えば、「お好み焼き」と「たこ焼き」ではないでしょうか。今回はもう一つの雄・たこ焼きについて書かせていただきます。

お好み焼きとたこ焼きは、ルーツを探れば古代の「煎餅〈せんびん〉」や茶の湯の席などで供された「麩焼き」、そして「もんじゃ焼き」や「一銭洋食」という同じ流れを辿っています。

では、現在のたこ焼きは、いつ頃、どのような経緯でお好み焼きとは違った道を辿ったのでしょうか。

たこ焼きの歴史を辿る前に、たこ焼きの前身として二つほどご紹介しなければならないものがあります。まず一つが「明石焼き」です。文字通り、兵庫県明石市を中心にした郷土料理で、現地では「玉子焼き」と呼ばれています。

これは、卵と出汁、浮粉〈うきこ〉や沈粉〈じんこ〉と呼ばれる小麦粉でんぷんの粉と小麦粉を混ぜたものの中に、タコを入れて丸く焼いたものです。皆さんの思い浮かべるたこ焼きを、ひとまわり大きくしたもので、ふわふわの食感です。ソースなどをかけるのではなく、添えて出される出汁汁に浸けて食べます。卵とタコの風味が、出汁汁によく合い絶品です。

明石焼きが食されるようになったのは、江戸時代とも、明治時代とも言われますが、現在まで続く独自の立ち位置を占める粉ものといえるでしょう。そして、中に入っているタコが、たこ焼きの成立に大きな影響を与えるのです。

そして、ご紹介すべき二つ目が、「ラヂオ焼き」です。聞きなれない面白い名前ですが、簡単に言うとたこ焼きのタコに代わりに、牛スジ肉やコンニャクを煮たものを入れたものです。発祥ははっきりしませんが、明治や大正期から食べられていたともされます。

また、昭和8年に大阪の今里というところで、福島県会津出身の遠藤留吉さんという方が、明治・大正時代からあったコンニャクを入れたラヂオ焼きに牛スジ肉入れて販売を始めたという説もあります。(会津出身なので、屋号は「会津屋」さんです)

なぜ、ラヂオ焼きという名前なのか? 諸説あるそうですが、当時のラヂオは高級品の象徴とも言える存在でした。きっとハイカラなイメージを込めた命名なのでしょうね。(ラヂオの丸いダイヤルの形から名付けられたという説もあるようです)

そして、昭和10年。ラヂオ焼きを食べたお客さんがこんなことをつぶやきます。「大阪では肉かいな。明石では、タコを入れとるで」。先ほど説明したタコの入った明石焼きのことですね。「なるほど」。遠藤さんは、具にタコを使い、「たこ焼き」と命名して売り出したのです。

これが、たこ焼きの誕生物語とされます。たこ焼きはまたたく間に人気を博し、全国へと広がっていき、大阪の食文化を代表する食べ物となりました。会津屋さんは、今も大阪の西成区の本店の他、関西にお店を展開しています。私も、大阪・淀屋橋のお店でよく舌鼓を打ちました。

会津屋さんのたこ焼きは、小麦粉を醤油味の出汁で溶くもので、ソースや青海苔を使わずにそのままで食べるものです。ソース味とはひと味違う、独特の風味がやみつきになる味です。

補足になりますが、ラヂオ焼き、たこ焼きの前に、「ちょぼ焼き」というものがあったという説もあるそうです。水で溶いた小麦粉を半円型の銅板に流し入れ、コンニャクや紅ショウガなどと焼き上げたもので、大正から昭和にかけておやつ的に食されたそうです。ラヂオ焼きの前身といえるかもしれません。

東京の三軒茶屋には、その名も「ラヂオ焼」というお店があり、私もよく利用します。コンニャクと牛スジ肉の具で焼いたものに、マヨネーズとポン酢か、ソースかどちらかを選んでかけていただきます。私はどちらも好きで、行くたびに迷いながら、交互に頼んでいます。会津屋さんでも「元祖ラヂオ焼き」が食べられます。

粉もの文化の双璧のお好み焼きとたこ焼き。ルーツは一緒でも、辿ってきた歴史は、それぞれ独自なものです。身近なものでありながら、歴史を知ると奥深い…歴史を知っていれば、次に食べる時には味わいが増すかも知れませんね。(立)

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