歴史街道 » 編集部コラム » 上杉謙信の敵中突破!関東の名城・唐沢山城

上杉謙信の敵中突破!関東の名城・唐沢山城

2015年11月25日 公開
2023年03月09日 更新

『歴史街道』編集部

唐沢山城の石垣

私の故郷の史跡である唐沢山〈からさわやま〉城跡(栃木県佐野市)は、「関東の七名城」のひとつとして知られています。ちなみに関東七名城とは、川越城、忍城、前橋城、太田城、宇都宮城、金山城、そして唐沢城とされています。

地元にいた頃は、毎日その姿を眺め、よく登ってはいましたが、歴史的にどのような背景を持つ城なのかは知らずに過ごしていました。

最近、地元の自治体が関東には珍しい高い石垣を持つ山城として歴史ファンにアピールをしていて、またフィルム・コミッションで映画のロケを誘致したりしているようです(『るろうに剣心』のロケも行なわれました)。私も改めてその歴史を調べてみましたが、様々な歴史を刻んだ名城であることが理解できました。

唐沢山城の築城は、平将門の乱の鎮圧に功のあった藤原秀郷によると伝わります(最近の調査・研究によると、あくまで伝承のようですが)。その子孫の佐野氏が居城とし、戦国時代を迎えます。

戦国時代の下野国(栃木県)南部は、相模の北条氏と越後の上杉氏の二大勢力に挟まれており、上杉景虎(謙信)が関東へ出兵する際、また北条氏が上杉勢を迎え撃つ際の重要な拠点となっていました。

当時の唐沢山城城主は、佐野氏15代当主である佐野昌綱でした。昌綱は二大勢力の狭間で、時に上杉方に与し、時に北条方に寝返り、刀刃の上を歩くような際どい身の処し方で戦国の荒波を乗り切ろうとします。

結果として、9回にも及ぶ上杉謙信と北条氏の攻撃を凌ぎ、降伏・和睦を繰り返して御家の命脈を繋ぐことに成功しました。

昌綱は当初、上杉謙信と結んで、北条氏の侵攻を抑えようとしていました。特に永禄3年(1560)に北条氏康の子・氏政率いる3万余の軍勢に攻囲された時は、昌綱は堅牢な山城・唐沢山城の守りを固め、石を投げ、丸太を落とすなどして徹底抗戦します。

昌綱は謙信に救援を依頼しますが、唐沢山城は落城寸前となります。この危機に、越後から救援に赴いた謙信は、甲冑もつけずに十文字槍を携え、わずかな手勢のみ(一説に40騎ほど)を率いて一直線に敵陣突破をはかります。その勢いは「夜叉(やしゃ)羅刹(らせつ)とは是なるべし」と伝わるほどの凄まじさで、北条勢は誰も手を出せなかったとされます。

謙信を城内に迎えた昌綱は、その馬前で感涙したと伝わります。城内の兵士の士気は著しく高まり、北条勢は劣勢となって撤退していきます。

ところがこれ以降、毎年のように繰り返される上杉と北条の攻防に際して、昌綱は上杉を寝返り、北条側について謙信と干戈を交えるかと思えば、上杉に降伏して北条方と戦うなど、複雑な動きを見せます。

謙信は領国での一揆や、武田信玄との川中島合戦などで死闘を繰り広げており、昌綱へ迅速に援軍を送ることができない状況にありました。昌綱にしてみれば、北条に降ることは御家を守るために仕方のない選択であったといえます。実際、周囲の結城氏なども同じような身の処し方をしています。

しかし、和議を結び、降伏することはあっても、唐沢山城が落城したことは一度としてありませんでした。険阻な地形を利用し、石垣を堅固に積み上げた山城は、上杉謙信も手を焼いた戦国時代でも有数の防御力を誇っていたといえるでしょう。

昌綱の死後、佐野氏は北条氏や豊臣秀吉家臣から養子を迎えるなどして命脈を保ちます。関ケ原合戦では、養子として跡を継いだ豊臣家家臣の富田一白の次男信種(佐野信吉を名乗る)が東軍に属して所領を安堵され、佐野藩が成立します。

さて、唐沢山に登り、本丸があったあたりの高い場所から東京の方角を眺めると、天気がよければ池袋や新宿の高層ビルを肉眼で見ることができます。まさにこの城が、関東平野の北の要の地であったことを思わせます。

ところが、この「見晴らしのよさ」が、悲劇を招きます。地元では「唐沢山城から江戸で大火が発生したのを見て、信吉が早馬で見舞いを出したところ、江戸城を見下ろしているとは怪しからん、と徳川家康に不興を買った」という説が伝わっています。信吉は改易の憂き目に合いますが、子孫は旗本として明治時代まで続いたそうです。

さすがに信憑性に欠ける話のように思えます。おそらく、豊臣家との繋がりが深い信吉を、徳川家が何かの理由をつけて排除しようとしたのではないかと、私は想像しています。

慶長7年(1602)に、唐沢山の麓に平城である佐野城が築かれ、唐沢山城はその歴史に幕を閉じます。平和の世になって、堅固な山城では領国運営に不便だったことも、廃城の一因であったと思われます。

明治時代に山頂の本丸跡に藤原秀郷を祀る唐沢山神社が建立され、現在では県立自然公園として整備されています。山歩きやハイキングに最適で、今も残る石垣の勇壮さは一見の価値あり、です。

とかく生まれ故郷の歴史は、ついつい疎かにしてしまいがちだと、自分の体験も踏まえて反省している次第です。これを機に、地元の歴史にもう一度触れてみようと思いました。皆さんも、地元の歴史探訪、いかがですか?(立)

写真は唐沢山城跡の本丸の石垣

歴史街道 購入

2024年5月号

歴史街道 2024年5月号

発売日:2024年04月06日
価格(税込):840円

関連記事

編集部のおすすめ

武田信玄と上杉謙信 「川中島合戦の謎」

小和田哲男(静岡大学名誉教授)

私のイチオシ!日本の名城ランキング

歴史街道脇本陣
×