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艦爆の神様・江草隆繁とセイロン沖海戦

2017年04月05日 公開

歴史街道編集部

今日は何の日 昭和17年4月5日

インド洋でセイロン沖海戦が始まる

昭和17年(1942)4月5日、インド洋でセイロン沖海戦が始まりました。「艦爆の神様」と呼ばれた江草隆繁(えぐさたかしげ)率いる艦爆(艦上爆撃機)隊の目覚しい活躍で知られ、太平洋戦争中の最良の航空攻撃とも呼ばれます。

昭和17年1月、1カ月前に真珠湾攻撃を成功させた南雲機動部隊は、南方作戦支援のために内地を出撃しました。

1月下旬にアンボン島を攻撃、2月半ばにオーストラリア北部のポートダーウィンを空爆、さらにジャワ島西部の軍港チラチャップを爆撃して、3月9日にはジャワ島の連合軍は全面降伏します。

さらに連合艦隊司令部は、南雲機動部隊にインド洋セイロン島の攻撃を下命。機動部隊は3月26日、スターリング湾を発してインド洋に向かいました。

前月、空母加賀がパラオで座礁し、内地へ修理に戻ったため、セイロン攻撃は空母赤城、飛龍、蒼龍、翔鶴、瑞鶴の5空母で臨みます。

4月5日午前9時。淵田美津雄中佐指揮の攻撃隊128機がコロンボ港へ出撃。これに対しイギリス軍は、ハリケーン、フルマーなど戦闘機40数機で迎撃しますが、大半は零戦(零式艦上戦闘機)に撃墜されました。 午後1時。機動部隊に敵イギリス巡洋艦2隻発見の報せが入り、江草隆繁少佐率いる九九式艦上爆撃機53機が午後3時5分に発艦します。艦爆隊は午後3時55分、敵巡洋艦コンウォールとドーセットシャーを発見、江草は突撃準備隊形を命じ、太陽を背にしました。 午後4時29分。江草は突撃を命じると、高度4000mから急降下に入り、手前の巡洋艦を一番艦と定めて突っ込みます。そして高度450mで江草は投下索を引いて爆弾を落とし、両手で操縦桿を握ると、渾身の力で引き寄せました。 機体が上昇に転じる際、自分の体重の5倍、あるいはそれ以上の荷重(G)がかかり、目の前が真っ暗になるといいます。操縦桿の引き起こしが僅かでも遅れれば、敵艦か海面にぶち当たって即死するという、恐るべき攻撃でした。

江草の爆撃は見事に命中します。実際、先頭の一番機が最初から命中を得ることは極めて難しく、後続の二番機以下は、その様子から照準を修正していくのが普通でしたが、江草は初弾を外さず、いきなり命中させたのです。

この時の艦爆隊の投下した爆弾は次々に2隻の重巡に命中し、53弾のうち命中47発、88.6%という驚異的な命中率を叩き出しました。

午後4時58分、「敵巡洋艦2隻沈没」の報告を江草機から受けた機動部隊の司令部は、南雲司令長官と幕僚が顔を見合わせたといいます。あまりにも早い撃沈に驚いたのでした。攻撃から僅か30分で重巡2隻を沈めるという、驚異的な戦果です。

巡洋艦2隻の悲報を受けたチャーチル英首相は、ショックを隠しきれず、「日本の海軍航空機の成功と威力は、真に恐るべきものだった。(中略)二隻の大切な巡洋艦が、急降下爆撃という全然別な空襲のやり方で沈められた。 ドイツとイタリア空軍を相手にした我が地中海での戦争全部で、こんなことはただの一度も起こっていない」と記しています。

なお4月9日には、セイロン島付近にいたイギリス空母ハーミスを発見、空母翔鶴艦爆隊長・高橋赫一(かくいち)少佐の総指揮で攻撃にあたり、ハーミス及び敵駆逐艦、商船などを瞬く間に撃沈しています。その時の命中率も82%と高いものでした。

普通、急降下爆撃の命中率は熟練搭乗員でも25%程度といわれますから、いかに日本海軍艦爆隊の命中精度が高かったかがわかります。当時、彼らの技倆は間違いなく世界一でした。

しかし、同年6月のミッドウェー海戦では、海軍艦爆隊が活躍する前に母艦が被弾し、彼らの活躍する機会はほとんどありませんでした。彼らにとってもミッドウェーの戦いは、無念極まりないものであったことと思います。

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