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板倉勝静と幕末の備中松山藩

2017年04月06日 公開

歴史街道編集部

備中松山城

今日は何の日 明治22年4月6日

幕末の備中松山藩主、幕府老中・板倉勝静が没

明治22年(1889)4月6日、板倉勝静が没しました。幕末の備中松山藩主で、幕府老中として幕末の幕府の舵取りをしたことで知られます。

勝静は文政6年(1823)、陸奥白河藩主(後、伊勢桑名藩主)・松平定永の8男に生まれました。幼名、万之進。父・定永はかの松平定信の長男ですので、勝静は定信の孫、8代将軍吉宗の玄孫ということになります。

勝静誕生の2カ月後、松平定永は陸奥白河藩から伊勢桑名藩に移封となりました。 天保13年(1842)、勝静20歳の時、備中松山藩主・板倉勝職の養嗣子となり、嘉永2年(1849)、27歳の時に家督を継ぎ、周防守に任じられます。正室は勝職の娘でした。

同年、勝静は儒学者・山田方谷を抜擢し、藩政改革を実施します。この改革は成功し、表向き5万石の備中松山藩の実収入が2万石もなかったところ、20万石の収入を得るまでになりました。

この藩政改革が評価され、勝静は安政4年(1857)、35歳の時に幕府寺社奉行に任ぜられます。しかし2年後の安政6年(1859)、大老井伊直弼の安政の大獄における容赦のない処断に反対し、井伊に睨まれて寺社奉行を罷免されました。

桜田門外の変で井伊が討たれると、文久元年(1861)に寺社奉行に復帰、さらに翌年には幕府老中に任じられ、幕政の中枢を担うことになります。勝静は山田方谷を江戸に招いて幕政顧問としますが、方谷はほどなく辞して国許に戻りました。 文久2年(1862)と翌3年には14代将軍家茂の供をして上洛、元治元年(1864)には老中を免ぜられ、山陽道先鋒として長州征伐に出陣します。

翌慶応元年(1865)、長州藩の恭順を受けて江戸に戻ると、老中に再任されました。この年、伊賀守に改めます。 慶応2年(1866)に老中首座となると、維新まで首座と次座を繰り返すことになりました。同年7月に家茂が没し、15代将軍に慶喜が就任すると、勝静は慶喜から大きな信頼を寄せられることになります。

そんな勝静に対し、国許の方谷は、すでに幕府の崩壊は避けられないことを予見しており、幕政よりも国許の領民を重んじるよう進言しますが、勝静にすれば窮地に追い込まれつつある幕府を見捨てることはできませんでした。それは松平定信の孫で、徳川吉宗の玄孫であるという血筋と、誇りのなせるわざであったのでしょう。

勝静は老中首座兼会計総裁にも任じられて、幕政改革に取り組みます。やがて慶応3年(1867)、慶喜が大政奉還を進めると、勝静はこれに全面賛成ではないものの、実現に協力しました。しかし王政復古の大号令後、薩摩藩の謀略によって戊辰戦争が始まると、勝静は同じく老中であった小笠原長行とともに徹底抗戦を図り、東北に出向いて奥羽越列藩同盟の参謀役を務めることになります。東北の形勢が敗色濃厚となると、勝静はさらに箱館に赴き、五稜郭に拠ってあくまでも戦う意思を示しました。

一方、国許では、藩主の勝静が旧幕府軍に参加して戦っているということで、備中松山藩は新政府軍の命令により近隣諸藩に攻撃される事態となります。 これに対し山田方谷は、領民を苦しめることは避けるべきであるとして、備中松山城の無血開城を決しました。その一方、勝静を隠居させることにし、藩士を箱館に送って勝静に国許の無血開城を知らせて、江戸へと連れ戻します。さすがの勝静もすでに拠るべき藩もないことを知ると、降伏を決断します。藩主の隠居を進めた方谷は、その責任も感じたのでしょう。後に明治新政府から何度も仕官要請がありましたが、すべて辞退しています。

一方、隠居した勝静はその後、上野東照宮の宮司などを務めました。旧幕臣たちが困窮にあえぐ生活をしている中、旧主の慶喜が自由気ままな生活を送っていると聞いた勝静は激怒し、「ああした人に仕えていた自分が不明であった」と語ったといいます。

明治22年に死去。享年66。 山田方谷を抜擢して藩政改革を成功させた点など、勝静は幕末の藩主の中でも名君の部類に入ると思いますが、幕末の政局の中心に立たざるを得なかったため、幕府を支えきれなかった印象が強くなってしまったのは、不運といえるのかもしれません。

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