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姉小路公知斬殺。犯人はほんとうに田中新兵衛なのか~猿ヶ辻の変の真相

2017年05月20日 公開

歴史街道編集部

猿が辻(京都御所/京都市上京区)
猿が辻(京都御所/京都市上京区)

今日は何の日 5月20日

尊王攘夷派の公家・姉小路公知が禁裏朔平門外の猿ヶ辻で斬殺

文久3年5月20日(1863年7月5日)、猿ヶ辻の変が起こり、尊王攘夷派の公家・姉小路公知が禁裏朔平門外の猿ヶ辻で斬殺されました。現場に残っていた刀から、人斬り新兵衛こと田中新兵衛が疑われたことで知られます。

姉小路公知は三条実美と並ぶ、過激な尊王攘夷派の公家でした。片や下手人と疑われた人斬り新兵衛も、尊王攘夷派として佐幕派の人物に暗殺剣を振るったことで知られ、その新兵衛が姉小路を殺すのは、一見奇妙です。

その一因は、姉小路が大坂で勝海舟と会ったことにありました。当時、上洛中の将軍家茂は朝廷より、諸外国と結んだ和親条約を破棄し、即時攘夷を行なうことを強いられています。もっともそれは孝明天皇の意思ではなく、三条や姉小路ら過激公家たちが朝廷を牛耳り、強要したものでした。そして京都から大坂に下った将軍家茂の動きを把握すべく、4月21日に姉小路は大坂に下り、そこで幕府軍艦奉行勝海舟と対面します。 勝は姉小路に、諸外国の武力と幕府の実力を包み隠さずに話し、諸外国との条約を一方的に破棄しては国際社会を敵に回すことになること、また即時攘夷を行なうだけの武力が日本にはいまだ不十分であることを説きました。 そしてまず取り組むべきは、開国して外国の進んだ文物を吸収することであり、国力と海軍力を増強させた上で、諸外国の侵略を防ぐべきとしたのです。

勝のいわば「大攘夷論」に、聡明な姉小路は少なからぬ衝撃を受け、勝の主張に共鳴しました。 そして朝廷に戻った姉小路は、それまでの破約攘夷論から一転して、摂海の防衛を固め、海軍力の増強を志向します。しかしそれは、他の尊王攘夷派からは変節、裏切りと受け取られました。彼らにとって破約攘夷は純粋な目的でなく、真の狙いは幕府を追い詰め、弱体化させることにあったからです。

そして5月20日深夜、朝議を終えて退出し、屋敷に戻る途中、姉小路は3人の刺客に襲われました。太刀持ちが逃げてしまったため、姉小路は笏(しゃく)で敵の刃を受けますが、もちろん防ぐべくもなく斬られ、屋敷の門前で絶命します。享年25。

現場に薩摩の拵えの刀が遺棄されていたため、薩摩の関与が疑われました。そしてその刀を確認した土佐浪士の那須信吾が、「薩摩の人斬り新兵衛こと、田中新兵衛の刀」と証言したため、京都守護職が動き、田中を捕縛します。

当時、薩摩藩は率兵上京した島津久光主導による幕政改革の成果で、京都政界において最も発言力を持つ存在となっていました。そんな薩摩にとって、姉小路はことさらに暗殺しなければならない相手ではありません。むしろ焦っていたのは、薩摩にリードされた長州藩及び三条実美ら尊攘過激派たちであり、姉小路の「変節」を最も憎んでいたと思われます。

しかし捕縛され奉行所に連行された田中新兵衛は、現場に遺棄されていた刀を見せられると、やにわにそれを奪い、切腹して果てました。このため事件は新兵衛による暗殺が濃厚という見方が強まり、結果的に薩摩藩は京都政界での発言力を失います。

なぜ、新兵衛は無言で切腹しなければならなかったのか。一説に新兵衛は数日前、外出先で酔いつぶれた際に差料を何者かに奪われたと漏らしていたといいます。また新兵衛の仕業であったとしたら、「人斬り」と恐れられた男が、刀を現場に遺棄するようなことをするのかどうか。 新兵衛の無言の切腹は、自分の差料を不覚にも奪われ、それが姉小路殺害に使われたことを恥じての行為ではなかったかと想像します。しかし、新兵衛が薩摩藩の意向とは関係なく、尊攘過激派の一人として姉小路暗殺を実行したという見方も存在します。

果たして真相はいずれであったのか。ちなみに薩摩藩が京都政界に復帰するのは事件から3ヵ月後、会津藩と組んで8月18日の政変を起こし、長州藩と尊攘過激派を朝廷から一掃することによってでした。

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