第34回は宮城県!今村翔吾〔戦国武将×47都道府県〕連作読切小説

あまたいる戦国武将のなかから、各都道府県で一人ずつを選び、短編小説に。くじ引きの結果、第34回は宮城県!執筆は、いま最も勢いのある若手歴史小説家・今村翔吾先生です。
PHPオンライン衆知 » 歴史街道 » 編集部コラム » 本能寺の変、信長の遺体はどこへ行ったのか?
2017年06月02日 公開
天正10年6月2日(1582年6月21日)、本能寺の変が起こりました。明智光秀の謀反により織田信長が討たれた、あまりにも有名な事件です。
京都市上京区に阿弥陀寺というお寺があります。ここの墓地に、実は織田信長の遺骨が埋葬されていると伝わります。信長は本能寺の炎の中で自刃したといわれますが、その遺体を見た者はいません。明智光秀はやっきになって信長の遺体を捜させますが、ついに見つけることはできませんでした。ここから信長の遺体は本能寺に貯蔵されていた火薬とともに、粉々になったであるとか、実は伊賀の忍びによって運び出されたなどという俗説も生まれています。いずれにせよ、遺体がどこに行ったのかは不明なのです。
阿弥陀寺の寺伝によると、信長と親交のあった清玉上人は、本能寺で信長が討たれたと聞き、20人ほどの僧を連れて本能寺に駆けつけ、裏道から辛うじて寺内に入ることを得ました。すると竹林で数人の武士が火を焚いています。清玉が尋ねると、いずれも信長の家臣で、信長から死骸を決して敵に渡すなと厳命されたが、四方を敵に囲まれているので、遺体とともに脱出することはできない。仕方がないので、ここで荼毘に付して遺骨を隠し、自分たちは自刃するつもりだ、ということでした。
清玉は、自分は信長公と縁のある者なので、自分たちが火葬し、菩提も弔いましょう。あなた方は自刃せず、むしろ敵に当たって、私たちが信長公の遺骨とともに脱出する時間を作って欲しいと頼むと、いずれも大いに喜び、敵に向かって攻めかかっていきました。清玉はその間に信長を火葬して、本能寺の僧が逃げるのに紛れ遺骨を持ち出し、阿弥陀寺に埋葬した、というのです。
遺体がそう簡単に焼けるものなのか、明智方に見つかることはなかったのか、今となってはわかりません。ただ当時の本能寺は現在とは場所も違いますし、寺域は広大で林などもあったようですから、絶対にあり得ないともいえません。その後、羽柴秀吉は信長の葬儀を自分が喪主となって執り行ないたいとまず清玉に頼み、清玉は「それは織田家簒奪の振る舞いに等しい」とこれを峻拒したといいますから、秀吉も信長が阿弥陀寺に葬られていることを知っていたと見るべきかもしれません。
なお、このために阿弥陀寺は羽柴秀吉によって大いに寺領を削られたといわれます。阿弥陀寺が天正15年に芝薬師町から現在地に移転したのも、そのせいかもしれません。墓地にある信長や息子の信忠の墓石は、当時のものといわれます。
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あまたいる戦国武将のなかから、各都道府県で一人ずつを選び、短編小説に。くじ引きの結果、第33回は東京都!執筆は、いま最も勢いのある若手歴史小説家・今村翔吾先生です。
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