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上御霊神社の戦いとは~応仁の乱がはじまる



2018年01月17日 公開

1月18日 This Day in History

上御霊神社
 

畠山義就が上御霊神社の畠山政長を攻撃

今日は何の日 文正2年1月18日

文正2年1月18日(1467年2月22日)、上御霊神社の戦いが起こり、これを契機に11年にわたる応仁(応仁・文明)の乱が始まりました。

応仁の乱の直接の原因は、畠山氏の家督相続争いでした。時の管領・畠山持国には子供がいなかったため、甥の政長を養子にしました。ところが、よくあることですがその後、実子・義就が生まれたのです。 その結果、政長と義就は家督を争って、摂津・河内・大和などで国人を巻き込んで戦いを繰り広げることになります。

国人とは当時、勢力を拡大しつつあった土着の領主層ですが、彼らは次第に統一行動をとって、守護や守護代の命令を聞かなくなり始めていました。 それだけでなく、国人たちの中は守護たちの覇権争いに加わる者も現われます。そんな中て起こった畠山の争いは、足利幕府が辛うじて保ってきた秩序を崩すことになりました。

やがて畠山政長は、有力な大名を味方につけて、管領職に就任します。同じ管領の細川勝元が、畠山家の内紛に口を挟み、政長を支援した結果でした。それまで幕府を動かしていたのは管領家と、四職と呼ばれる赤松・一色・山名・京極氏です。

その中で力を伸ばしていた山名持豊(宗全)は、最初は細川勝元に同調して畠山政長を支持しましたが、次第に細川との対立を深めていきます。やがて宗全は、畠山義就方に回りました。そして文正2年正月、将軍・足利義政を抱きこみ、それまで追討対象であった畠山義就を許して、畠山政長を赦免するクーデターを起こすのです。

このクーデター成功の陰には、義政の正室・日野富子の工作がありました。将軍の後継者は義政の弟・義視に決まっていましたが、富子は自分の子・義尚を次期将軍にと望み、山名宗全に後ろ盾を頼んだのです。その結果、細川勝元・畠山政長・足利義視vs.山名宗全・畠山義就・足利義尚という図式ができあがりました。

そして文正2年1月18日、上御霊神社に陣を敷いた畠山政長を、畠山義就が攻撃、政長は自害を装って細川勝元邸に逃げ込んだといわれます。これによって宗全は将軍邸(室町亭)を占拠し、細川は幕府中枢から追われることになりました。しかし細川は退去せず、都において戦いが行なわれることになります。

すると将軍・義政は、今度は足利義視を大将として、山名宗全を討とうとしました。将軍が味方したことで、戦局は細川方が有利になります。細川方が幕府を押さえ、その西に山名邸があったため、細川方を東軍、山名方を西軍と呼ぶようになりました。

一説に東軍16万、西軍11万が火花を散らし、その対立は拡散していきます。たとえば家督争いでもめていた斯波家では、義敏は細川方に、義廉は山名方につきました。 最初は東軍有利で進められていた戦いでしたが、中国の大内政弘が西軍に参戦すると、形勢は逆転します。そして戦いは全国に波及し、いたるところで東西に分かれての戦いが行なわれることになりました。

文明5年(1473)、山名宗全と細川勝元が相次いで没すると、戦いの名目は失われました。そして強大な武力を誇る大内政弘が京都から引き上げたところで、乱は一応の終息を見ます。

それにしてもこの戦いは、僧の尋尊が「いくら頭をひねっても、応仁・文明の大乱が起きた原因がわからない」と記しているように、さしたる必然性もないまま、戦いだけが続けられていきました。このため京都は焼け野原となり、公家たちは周辺都市や所領へと避難することになります。

京都は太平洋戦争での戦災を免れたこともあり、京都人が「この前の戦争」という時は、応仁の乱を指す、などという話もあります。いずれにせよこの大乱終結のあたりから、戦国への胎動が始まったと見てよいようです。



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