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万延元年遣米使節団~アメリカ人を驚かせたサムライたち

2018年01月17日 公開

歴史街道編集部

小栗忠順
遣米使節団の一員として太平洋を渡った小栗忠順
 

万延元年遣米使節団が米軍艦ポーハタン号で品川沖を出港

今日は何の日 安政7年1月18日

安政7年1月18日(1860年2月9日)、日米修好通商条約批准書交換のため、新見正興を正使とする遣米使節団が米軍艦ポーハタン号に乗って品川沖を出港しました。幕末の遣米使節団として知られます。

安政5年(1858)、米総領事タウンゼント・ハリスの執拗な勧めもあり、大老・井伊直弼は日米修好通商条約に調印しました。これによって幕末の動乱が激化することはよく知られていますが、同条約の第14項には、「日本政府(徳川幕府)は使節を派遣し、ワシントンにおいて批准交換を行なう」とあり、遣米使節団の派遣が義務づけられていたのです。

メンバーは正使・新見豊前守正興(39歳)、副使・村垣淡路守範正(48歳)、監察に切れ者で有名な小栗豊後守忠順(34歳)をはじめ、勘定方、外国方、通弁方、医師、賄方など、総勢77人でした。彼らはポーハタン号で米西海岸到着後、別の船で東海岸のワシントンに至る段取りです。またそれとは別に、護衛艦として幕府海軍の咸臨丸が派遣されました。こちらは木村摂津守喜毅を司令官とする96人と、米海軍将兵11人が乗り組みます。艦長は勝海舟、木村の従者に福沢諭吉、通訳方にジョン万次郎がいたことはよく知られています。

新見一行は途中ハワイに寄港し、3月9日にサンフランシスコに到着。咸臨丸は10日余り前にすでに到着していました。ポーハタン号を降りる際、太平洋の荒波をともに越えてきた乗組員は、日本人の常に礼節ある態度に少なからぬ感銘を受けており、「皆様の思い出は立派な紳士として、長らく私たちの心に尊敬の念をもって残るでしょう」と語ったといいます。

サンフランシスコ往復の咸臨丸一行と別れると、病人1人を除く76人の使節団は、蒸気機関車と米軍艦を乗り継いで、閏3月25日に首都ワシントンに到着。彼らは大変な歓迎を受け、町は彼らの姿を一目見ようとする市民で鈴なりでした。「ニューヨーク・ヘラルド」紙が彼らを「星からの珍客」と評したように、髷を結い、羽織・袴姿で、腰に両刀を差した姿は、未開の珍しい人種、それこそ異星人に近いイメージだったのかもしれません。

しかしほどなく、アメリカ人の見方は変化していきます。日本人一行の装束の美しさ、お辞儀などの気品ある振る舞い、温厚で慎み深く、人懐っこい点などに、人間的に魅力を感じ始めるのです。「ニューヨーク・タイムズ」紙は次のように記しています。

「彼らは世界で最も洗練された人たちである。態度は優雅であり、容貌も柔和である。風采も気持ちのよいもので、われわれには奇妙に見えるけれども、日本人から見れば、やはりわれわれも奇妙に見えるだろう」

閏3月28日、使節はホワイトハウスで大統領に謁見し、国書を奉呈することになります。晴れの式典とあって、新見正使、村垣副使、小栗監察ともに狩衣に太刀を佩き、烏帽子姿でした。使節らは4頭立ての馬車に乗り、槍持ちを含めた供が従います。一行を見ようと、沿道、家の窓、屋根の上まで数千の群集が連なる大騒ぎとなりました。

ホワイトハウスに到着すると、使節らは大統領が普通の家に住んでいることに驚きました。江戸城のような城郭を想像していたからです。時の大統領は第15代・ジェームズ・ブキャナン。公式謁見は正午に行なわれ、新見正使が、将軍が日米友好の条約締結を喜んでいること、また渡米にあたり米軍艦派遣の好意に感謝していると伝えます。大統領は友好国使節への歓迎の意を表わし、記念として将軍と正使に金時計を贈りました。この精巧な時計は、日本にアメリカの製造技術の高さを示す目的もあったといわれます。

4月2日、一行は海軍造船所に案内されます。5つの蒸気機関を備えた10棟のレンガ造りの工場で、大砲が次々と鋳造され、また蒸気の力で巨大な機械を工員が片手で操作し、大きな碇を作る様子に、一行は少なからぬ衝撃を受けました。小栗は次のように語っています。

「何もかも素晴らしい。わが日本もこうでなくてはならぬ。攘夷などとは馬鹿馬鹿しい。そんなことをしていたら、各国の餌食となり、やがては分割されて植民地となるのがおちだろう。アメリカの活気に充ちた意気と、わが国の沈滞した空気とは比べ物にならぬ。 ことに窮理(科学)の進歩に至っては実に羨ましいことだ。あの造船所の機械、造幣局の設備など、どうしてもわが国に取り入れねばならぬ。そして世界各国と対抗できる力を養うのだ。そうだ、自分がやろう。わが日本のため、徳川幕府のため、自分がやらずに誰がやるというのだ」

一方、逆に使節団がアメリカ人を驚かせる一幕もありました。使節団には非公式任務として、1両小判とドル金貨の交換比率を定める「為替レート交渉」があり、造幣局において、小判と金貨それぞれの金の含有量を計る日米合同実験を行ないます。 そこでまずアメリカ側を驚かせたのが、小栗が取り出した「天秤ばかり」でした。アメリカでは鉄で作られている部分が象牙でできており、計ると一分の狂いもない精密さだったのです。次に、アメリカの技師たちが含有量を額に汗して計算している傍らで、侍たちは「アバカス」をちょっと弾いて一瞬で計算し、あとは煙草を吸ってゆったり笑っています。しかも答えが正確無比であることに、技師たちは仰天しました。ちなみに「アバカス」とは算盤のことです。

使節団は5月13日に帰国の途につきました。この時の体験から小栗は、横須賀に東洋最大の造船・製鉄・船渠(ドック)を建設する大事業を興します。それにしても、多くのアメリカ人を魅了した使節団の振る舞い、臆することの無い堂々とした姿勢は、私たち日本人が誇りにしてもよいものでしょう。


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