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山川捨松~「鹿鳴館の華」と賞された会津の麗人

2018年02月17日 公開

歴史街道編集部

山川捨松
 

山川捨松(大山捨松)が没

今日は何の日 大正8年2月18日

大正8年(1919)2月18日、山川捨松が没しました。大山巌の妻で、会津藩士・山川大蔵の妹です。鹿鳴館外交、社交界の華として知られます。

山川捨松は安政7年(1860)、会津藩の国家老・山川重固の5女に生まれました。幼名、さき。後に咲子。姉に梶原平馬に嫁ぐ二葉、兄に「知恵山川」と謳われる大蔵、白虎隊士の健次郎らがいます。

慶応4年(1868)、捨松は8歳で会津戦争に巻き込まれ、鶴ヶ城に籠城。城内に撃ち込まれる砲弾が破裂する前に、濡れた布団を被せて不発にする危険な作業を手伝って、大怪我しています。その時、城を攻めていた薩摩藩の指揮官の一人が、後に結婚する大山巌(当時は弥助)でした。

会津藩は降伏後、領地を下北半島北端の不毛の地・斗南に移され、山川家も極貧生活の苦しさから、捨松を函館に里子に出すことになります。その仲介をしたのが沢辺琢磨でした。彼は元土佐藩士で坂本龍馬の従兄弟にあたり、新島襄がアメリカに密航する際に援助した人物です。

沢辺の紹介で捨松は、フランス人の家庭に引き取られました。その後、兄の健次郎が留学生として渡米することになると、捨松も女子官費留学生に応募して、5人の女子留学生の一人として渡米します。11歳の時のことで、母親は「娘を捨てたと思って帰国を待つ(松)」という思いから、捨松と改名させました。

日本初の女子留学生として津田梅子らと渡米した捨松は、コネチカット州の神学者ベーコン牧師の家に寄宿。やがて全寮制のバッサー女子大学に学んで、総代で卒業します。その卒業式で捨松は、流暢な英語でイギリスの日本に対する外交政策を、あでやかな着物姿で批判、堂々たる演説をニューヨークタイムズが報じて、激賞しました。その後、捨松はコネチカット看護婦養成学校に1年ほど通い、上級看護婦の免許を取得しています。

明治15年(1882)、捨松は23歳で帰国。アメリカと同様、男と伍して生きていく夢を抱いて日本に戻ったものの、明治日本はまだまだ「女は結婚がすべて」という因習の中にありました。売れ残り扱いされることに腹立たしく感じていたところに、後妻を探していた大山巌と出会います。フランスでの生活が長かった大山は、捨松の英語劇を見て感激し、求愛しました。かつて鶴ヶ城を攻めた指揮官ということで、捨松の周囲は当然の如く反対しますが、捨松は地位も名誉もある男の妻となれば、アメリカで学んだことを活かすことができ、自分の夢も実現できると考えて承知します。捨松は最初、巌の薩摩弁が理解できませんでしたが、英語に切り替えると、二人の会話は大いに弾みました。

その後、不平等条約改正に向けて政府が始めた鹿鳴館外交で、捨松はその美貌とアメリカナイズされた華麗な振る舞いから、たちまち社交界の華となりました。その一方で、日本初の看護婦学校設立に尽力し、上級看護婦の免許を持つことから、日本における看護婦第1号となります。その背景には、幼い頃に目にした鶴ヶ城籠城戦での死傷者の強い印象があったことでしょう。満足な手当てを受けられず、命を落としていった会津の人々の姿は捨松の目に焼きついていました。その点、日清・日露戦争で従軍看護婦を務めた新島八重と共通しています。

また捨松は、日本の女子教育の先駆けになりたいという希望も抱いていました。そして、ともに渡米留学した津田梅子が明治33年(1900)に女子英学塾(後の津田塾大学)を設立することになると、これを全面的に支援しました。自分が寄宿したベーコン家の娘で親友のアリス・ベーコンを、教師として招聘してもいます。 夫・巌との夫婦仲は円満で、「おしどり夫婦」と見られていました。

有名な話ですが、ある新聞記者から巌が好きなものを聞かれると、捨松は「一番は児玉さん(児玉源太郎)、二番目が私で、三番目はビーフステーキ」と応えています。

大山巌が没した3年後の大正8年(1919)、津田梅子が病に倒れると、女子英学塾の運営に力を貸しますが、ほどなく捨松もスペイン風邪のために倒れて、没しました。享年60。

明治の世に大きく活躍した会津人の一人といえます。



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