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足利三代木像梟首事件~たった200文の拝観料が幕末史を動かした?

2018年02月21日 公開
2022年07月05日 更新

2月22日 This Day in History

等持院
足利氏の菩提寺、等持院(京都市)
 

足利尊氏、義詮、義満の木像の首が三条河原に晒される

今日は何の日 文久3年2月22日

文久3年2月22日(1863年4月9日)、京都で足利三代木像梟首事件が起こりました。尊王攘夷派の「倒幕」を暗喩するこの事件に、京都守護職・松平容保が激怒し、取締り強化に転じるきっかけとなった事件です。

事の発端は他愛のないものだったようです。文久3年2月のある日、平田派国学を学ぶ者たちが洛西の等持院を訪れます。等持院は足利将軍15代の木像が安置されていることで知られ、彼らはその見学を申し入れました。 ところが寺の僧は、拝観料として200文を要求します。これに対し彼らは「逆賊足利尊氏の木像を見るのに、賽銭を払う必要があるものか」と腹を立て、そのまま立ち去りました。

これで収まれば何事もなかったのですが、仲間の寓居で「けしからぬ」などと話しているうちに、エスカレートしていきます。そして「木像の首をさらして、攘夷の血祭りにしようではないか」ということになりました。彼らは仲間を募り、総勢9人ほどで22日の夕方、等持院に闖入します。そして足利尊氏、2代義詮、3代義満の首とその位牌を奪うと「エイホウ、エイホウ」と勝どきをあげて立ち去りました。そして彼らは夜陰に紛れ、3つの木像の首と位牌を三条河原にさらします。木像の脇には立て札があり、そこにはこんな意味の文言が書かれていました。

「逆賊足利尊氏・同義詮・同義満名分を正すや今日にあたり、鎌倉以来の逆臣一々吟味を遂げ謀戮に処すべきところ、この三賊臣巨魁たるによって、先ずその醜像天誅を加えるものなり」

「今の世に至り、この奸賊になお超過している者がある。それらの者の罪悪は足利尊氏などよりも、はるかに大きい。もしそれらの者どもがただちにこれまでの罪を悔い改めなければ、満天下の有志は、追い追い大挙してその罪を正すであろう」

天誅騒ぎでたびたび生首がさらされているのを目にしていた京童ですが、この異様な晒し首には驚き、たちまち噂が広まりました。そして知らせは黒谷に本陣を置く、京都守護職・松平容保にもたらされます。

耳にした容保は激怒しました。そもそも容保は、京都守護職として治安を守る職務についていましたが、尊王攘夷を唱える志士たちに対しては、彼らも国を思っての言動だからと理解を示し、厳しい取締りは行なっていません。 むしろ意見があれば聞く「言路洞開(げんろどうかい、話し合いで解決の道を探る意味)」の方針をとっていました。ところが今回の足利将軍木像梟首事件は意味合いが異なります。

征夷大将軍の首をさらすということは幕府へのあてつけであり、立て札の「この奸賊になお超過している者」は紛れもなく徳川将軍家を指し、さらに「大挙してその罪を正す」とは倒幕を意味することに他なりません。 容保にすれば、「尊王攘夷を唱えながら、本心はこれであったか」という思いであったでしょう。

尊王攘夷という考え方は、幕府方の人間も共通しています。ただしそれは帝を尊び、幕府のもとに一致団結して攘夷に向かうというものであり、尊王攘夷を口実に倒幕を狙うなど、本末転倒というものでした。ここに容保は「言路洞開」は甘い措置であったと認識を改め、断固取締りに転じます。

木像梟首事件の実行犯たちは、間もなくことごとくが捕縛されました。それを可能にしたのは、彼らの中に潜入していた会津藩士がいたためです。 その会津藩士は大庭恭平。会津藩公用人・野村左兵衛らの密命を受け、志士たちの動向を監視していました。ところが大庭は、一説に志士たちに共鳴して、木像梟首にも積極的に加担し、そのため後に会津藩から罰せられたといわれます。しかし、戊辰戦争では会津藩士として奮戦しており、あるいはこの措置は、密偵であったことが明らかになった大庭の身を案じて、会津藩が彼を京都から遠ざけた可能性もあるのではとも考えられます。

なお捕縛された志士は三輪田元綱、師岡節斎正胤、青柳高鞆、長尾郁三郎、西川吉輔らでした。いずれにせよ、会津藩はこれをきっかけに壬生浪士組を配下に入れて、京都市中取締りの強化を図り、幕末の動乱の最前線に立つことになります。

しかし、そのきっかけが、等持院の200文の拝観料であったというのは、何とも意外というか、些細なことから歴史が大きく動くことの典型かもしれません。

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