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相楽総三の無念~偽官軍にされた赤報隊

2018年03月03日 公開
2019年02月27日 更新

3月3日 This Day in History

今日は何の日
 

赤報隊の相楽総三が斬首

今日は何の日 慶応4年3月3日

慶応4年3月3日(1868年3月26日)、相楽総三が処刑されました。新政府軍の先鋒として赤報隊率いて東山道を下るものの、一転して新政府より「偽官軍」のレッテルを貼られた人物です。

相楽総三の本名は、小島四郎左衛門将満。下総相馬の郷士の子として生まれました。総三は兵学と国学を学び、尊王攘夷の志を抱いて出奔。水戸天狗党の乱に加わった後、上洛して志士たちと交わります。

やがて薩摩の西郷吉之助、大久保一蔵らと深く関わるようになり、慶応3年、密命を受けて江戸に下ります。密命とは江戸市中で乱暴狼藉を働き、幕臣を激昂させて、薩摩との戦端を開かせることにありました。実際、これによって鳥羽・伏見の戦いが起こり、新政府軍は旧幕府側に賊軍の汚名を着せることになります。

総三は近江で草莽部隊の赤報隊を組織すると、新政府軍の露払いとして東山道を下ります。彼らは新政府の許可を得て、「年貢半減」を掲げて民衆の支持を取り付けました。

ところが新政府は年貢半減の書き付けを一切総三らに与えておらず、赤報隊が下諏訪に至ったところで総三らを、「勝手に年貢半減を触れ回った偽官軍である」として、捕縛しました。人心をつかむために、最初から使い捨てにする気だったのでしょう。

総三ら赤報隊の幹部8人は、厳寒の中で三日間外に晒された挙句、取調べすらないまま斬首されました。総三、享年30。

そのあまりに残酷な仕打ちに、総三と交わった同志たちが明治3年(1870)に下諏訪に建立した塚が、「魁塚(さきがけづか)」です。その後、子孫らの名誉回復のための努力が実り、総三に正五位の贈位が行なわれたのは、昭和3年(1928)のことでした。

最近は和月伸宏氏の人気コミック「るろうに剣心」で、相楽総三の名を知る人も増えたようです。

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