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ローマ vs. カルタゴ ポエニ戦争はアレクサンドロスの跡目争いだった



2018年10月23日 公開

佐藤賢一(作家)

ローマ
 

ローマ対カルタゴ、世界史の主役をかけた戦い

前338年、マケドニアがカイロネイアの戦いに勝ち、コリントス同盟を通じてギリシアを統一した頃ですね。ローマは周辺都市を屈服させて、ラティウム地方という一帯の支配を固めます。並行して行われたのがサムニウム戦争で、前343年から前290年にいたる三次の戦争で、サムニウム、つまりはイタリア中部を押さえます。

この間に作られたのが、有名なアッピア街道です。監察官アッピウスが工事を始めたので、アッピア街道なんですが、ローマから南のカプアに伸びる道路が最初でした。なぜ南かというと、マグナ・グラエキアと呼ばれた南イタリアです。つまるところ軍道ですから、そこにギリシア人が築いた都市国家を、どんどん服属させていくんです。

アレクサンドロス大王の王国が崩壊して「後継者戦争」が始まり、後継諸国ができていく頃の話です。ギリシアの諸ポリスも、かつてのような勢いをなくしていたので、ローマはイタリア半島を順調に南に下りていけたわけです。

ギリシア植民市タレントゥムを屈服させたのが前272年、レギウムを占領したのが前270年、ローマはイタリア半島の南端まで行きました。その先はシチリア島ということになります。シュラクサイはじめ、やはりギリシアの植民市が置かれていました。南イタリアと同じに進めそうなものですが、シチリア島はそう簡単ではない。

ギリシアの勢いが減退して、世界の覇権とはいわないまでも、さしあたり地中海の覇権ですね。次は誰が握るんだということが、問題になってくる時期です。イタリア半島南端まで勢力を拡大して、当然ローマは名乗りを挙げます。これを向こうに回して、主役の座を争おうというのが、他方のカルタゴでした。

カルタゴというのは、現在のチュニジア、首都チュニスの東方にあった都市国家です。フェニキア人が建てた植民市ですが、フェニキア人というのは中近東のあたりに由来するセム系の人たちです。ユダヤ人やアラビア人と同じ系統ですね。

セム系の人々というのは、商才に長たけていることで知られます。交易路を開拓していくことも得意で、フェニキア人は歴史上では海洋民族と形容されることもあります。前8世紀来ギリシア人が海外に進出したのも、フェニキア人の精力的な活動に刺激されたものです。

ギリシア人が地中海の主に北岸に植民市を建てたのに対して、フェニキア人は主に南岸に植民市を建てました。そのひとつがカルタゴで、母市が今のレバノンのテュロス、アレクサンドロス大王が東征で徹底的に破壊したテュロスです。やはりギリシア勢のライヴァルだったんですね。

それでも、カルタゴは無傷で残りました。それどころか、地中海南岸を支配していく。「ヘラクレスの柱」と呼ばれた今のジブラルタルにいたるまで、植民市を無数に増やしていきます。当然ながら島も押さえにかかります。コルシカ島、サルデーニャ島と来て、さらに進もうとしたのが、こちらもシチリア島だったわけです。

イタリアを下りていったローマ、チュニジアから乗り出していくカルタゴ、この二勢力がシチリア島で衝突して、始まったのがポエニ戦争でした。最初の世界大戦と形容する向きもありますが、私はアレクサンドロス大王の跡目争い、誰が世界史の主役になるのかという争いだったと思います。

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