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ナポレオン・ボナパルトに学ぶ「最強の教訓」~好機の神に後髪なし!

2018年11月14日 公開
2022年06月07日 更新

神野正史(河合塾世界史講師)

挫折が幸運を呼び寄せる

精神的にも経済的にも大打撃を受けたことで、絶望感にさいなまれて虚無的になってしまってもおかしくありません。

しかし、自分が飢えるだけならまだしも、母や弟妹たちを飢えさせるわけにはいきません。ナポレオンにとっては、悲嘆に暮れている遑が与えられなかったことが、かえってよかったのかもしれません。
 

「失意のときこそ、新たな目標を立てて動く!」

─コルシカに錦を飾る夢は破れたが、ならば、今度はこのフランスで一旗揚げてやる!

コルシカでの挫折によって初めて彼は「フランス」に目を向けるようになったのです。もしこのとき、なまじコルシカで成功していたら、彼はその一生をコルシカに捧げ、コルシカという小さな島の中で埋没して、彼の名が歴史に刻まれることはなかったことでしょう。

挫折もときに幸運となります。

幸か不幸か、彼がコルシカに帰っている短い間にフランス情勢は激変していました。

彼の留守中に革命は急速に過激化し、国王ルイ16世は処刑され、上級貴族たちがぞくぞくと亡命し始めていたのです。

「上」がごっそりいなくなったことで、コルシカ帰島前まで閉ざされていた出世の道が、突如として彼の目の前に拓かれていました。
 

「禍福は糾あざなえる縄の如し。常に好機に目を光らせよ!」

人生というものは不思議なくらい、悪いことのあとには良いことがあるものです。

─禍福は糾える縄の如し
─人間万事塞翁が馬

しかし、多くの場合、人は失意の中にあっては自分の不幸を呪うことに心が奪われてしまって、幸運が舞い込んできていることに気がつきません。

ナポレオンはそれを見逃しませんでした。

─今なら、軍功さえ挙げれば出世は思いのままだ! フランスで出世の道が切り拓かれたのなら、コルシカに拘る必要もない!
 

好機を自ら創り出す

ナポレオンを包んだ闇の中に一筋の光明が射してきたとはいえ、いつの時代も、実力より先にモノを言うのが縁故(コネ)です。

どんなに「実力」があっても、それを発揮する場が与えられないことにはどうしようもありません。コネがあって初めてチャンスが与えられ、チャンスが与えられて初めて「実力」が発揮できるのですから。

生粋のフランス人ではない彼ですから、フランスに何のコネもツテもありません。
 

「コネがなければ、自ら動いて作る!」

ここで多くの人は、「結局、なんだかんだきれいごと言ったって、世の中コネじゃないか! いくら才能があっても、コネがなきゃいつまで経ってもうだつが上がらない!どうせ俺なんか!」と腐ってしまいがちです。

しかし、ここからがナポレオンのすごいところです。

ナポレオンはすぐに机に向かい、わずか1カ月で『ボーケールの晩餐』という小冊子を書き上げます。

当時、彼が住んでいたマルセイユからわずか80キロメートル北西の町、ボーケールの宿屋を舞台に、軍人と市民との議論が交わされる中、「ロベスピエールのやり方でしかフランスが生き残る道はない!」という結論を記したものです。

要するに、時の最高権力者ロベスピエールへの「ゴマすり」なのですが、彼がこの『ボーケールの晩餐』を自費出版した直後、彼の人生を変える事件が起こります。

彼の住むマルセイユからわずか50キロメートルしか離れていないトゥーロンで政府打倒を標榜する王党派の叛乱が起こったのです。

これを鎮圧すべく、ただちに政府軍がトゥーロンに派兵されたものの、いきなり砲兵隊長が戦死。

─すぐに新しい砲兵隊長を補充せねばならん! 誰か適任者に心当たりはないか?

ちょうどここに赴任していたサリセッティ議員は、ナポレオンがコルシカに渡ったときに、ともにパオリ将軍と戦った同志でした。

「私にひとり心当たりが!」
─うむ、どんな男だ?
「以前、私がコルシカに赴任していたころに知り合った者ですが、なかなか優秀な男です」
─いや、軍人としての才より、私が心配しているのは、そいつが革命軍人として信用できるのかどうかという点だ。
「その点なら大丈夫です。彼は、こんな小冊子を自費出版したほどの熱烈なジャコバン派ですよ!」

このときの推薦資料として提出されたのが『ボーケールの晩餐』でした。

─む、なるほど! よし、すぐにそやつを呼び寄せよ!

こうして推薦資料としての『ボーケールの晩餐』が効いて、何の実績もなかったナポレオンがいきなり砲兵隊長に大抜擢されることになります。

ナポレオンはこの貴重なチャンスをモノにしたのです。
 

「チャンスが来てからあわてて努力を始めたのでは遅い。」

ひとつの夢や目標に向かって努力する。そんなことなら誰でもやっています。

問題はその夢が破れたとき、失意に打ちひしがれることなく、すぐに気を取りなおして「次」に向かって努力を怠ることなく続けることができるか?

失意の中にあっても、好機(チャンス)が訪れていないか目を光らせ続けることができるか?

ここが人生の岐路となります。

多くの人は、そこで意気消沈し、自らの不幸を呪い、しばらくは何もする気が起きなくなるものですが、そんなときこそ、「好機の神(カイロス)」は目の前を駆け抜けていくのです。

ナポレオンが失意のうちにコルシカから逃げ帰ってきたのが6月。

しかし、すぐに次の目標を立てて『ボーケールの晩餐』を書き上げたのが7~8月。

ナポレオンの出世の足がかりとなる「トゥーロン港叛乱」が起こったのが9月です。

もしこのとき、ナポレオンが帰国後のほんの1~2カ月でも無為に過ごしていたら!

ナポレオンはこのチャンスを掴むことができず、このまま名もなき貧乏将校のひとりとして歴史の中に埋没していったかもしれません。
 

「人生という試合で最も重要なのは、休憩時間の得点である。」

とは、ナポレオン本人の言葉です。

好機の神の前髪を掴むことができたナポレオンは、これを足がかりとして、そこからはとんとん拍子、わずか1年たらずの間に、大尉から少佐、大佐、准将、少将と出世の階段を駆け昇っていきます。ナポレオンの人生には、そこから一波乱二波乱あるとはいえ、このときの飛躍があったからこそ、その先に「玉座」が待っていたのです。 

※本稿は、神野正史著『最強の教訓!世界史』より一部を抜粋編集したものです。

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