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ビスマルクに学ぶ最強の教訓~戦術と戦略を見極めよ

2018年11月08日 公開
2022年06月07日 更新

神野正史(河合塾世界史講師)

漁夫の利を狙うフランス

最強の教訓 世界史仏帝ナポレオン3世は考えていました。

──もし普墺(プロシアとオーストリア)の両国が戦わば、やはり大国オーストリアの勝ちであろう。とはいえ、プロシアも小国ながら侮れぬ故、開戦当初は善戦するだろう。両国がしのぎを削り、国力が衰えきったところでこの戦争に介入し、プロシア西部を掠め取ってやろう。

プロシアにしてみれば、オーストリア1カ国を相手にするにも国運を傾けて戦わねばならぬのに、ここにフランスに介入されてはすべてが御破算です。

将(オーストリア)を得んと欲すれば、先ずその馬(フランス)を射よ。

オーストリアとの開戦が迫る中、ビスマルクはビアリッツに飛んで、ナポレオン3世と会談します。

来るべき普墺戦争において中立を守ってもらわんがためです。

もちろんナポレオン3世は介入する気満々ですので首を縦に振ってくれません。

そこでビスマルクが耳打ちします。

──陛下。もし陛下が中立を守ってくださるというのであれば、我が国は陛下にライン左岸を差しあげることになるでしょう。

なんと! ! ただ黙っているだけでライン左岸をくれる! ?

こうしてナポレオン3世から中立を勝ち取ることに成功。

他にも、ロシア・イタリアなども次々と中立化させ、着実に「外濠」を埋めていったビスマルクは、いよいよオーストリアに牙を剥くことになります。
 

小国プロシアが勝つ道

大国オーストリアとの決戦に臨むにあたって、重要なこと。

それは「短期決戦」です。

長びいては、小国プロシアに勝ち目はありません。

こちらの少ない国力を吐き出しきってしまう前に勝負を決せねば。

そこで戦争を始めるにあたって、ビスマルクは参謀総長モルトケを呼びつけます。

──わかっていようが、今回の戦は時間との勝負だ。モルトケよ。おぬしは何週間でオーストリアを跪かせることができる?

これに対して、モルトケは「12」という数字を示します。

ヨーロッパ屈指の大国オーストリアをたった12週間で! ?

しかし、できるかできないかではなく、それがプロシアの限界でした。

──よし、わかった! 12週間は、わしの責任を以て、おぬしの要求する武器・弾薬・兵員・食糧、その他、必要物資を前線に送り続けよう。ただし! 13週目はないぞ? 12週間で我が国はその国力をすべて吐き出す。それを肝に銘じよ!

こうして、両国は、1866年6月14 日、ついに開戦します。
 

「兵は神速を貴ぶ」

兵数だけ見れば、オーストリア軍のほうが圧倒していました。

しかし、「戦は兵力ではなく勝機」です。

前近代的な編制、兵器、戦争理念に基づく鈍重なオーストリア軍は、近代的な編制、兵器、戦争理念に基づき、決戦を急ぐすばやい動きのプロシア軍を前にして、連戦連敗。

なんと、12週間どころか、たった7週目に和を請う有様でした。

この戦争の別名、「七週間戦争」はこれに由来します。

歴史を見わたしても、例を見ないほどの大勝利でした。
 

やさしすぎる講和条約

これほどの大勝利、講和にあたって、ビスマルクはそれ相応の厳しい条件をオーストリアに突きつけたかと思いきや。
・今後、ドイツ統一問題に干渉せざること。
・賠償金は2000万ターラー。
・領土の割譲はなし。
というもので、おどろくほど軽微なものでした。

この条件を知った普王ヴィルヘルム1世は、ビスマルクを呼んで詰問しています。

「こたびの戦、古今例のないほどの大勝利と聞き及ぶ。にもかかわらず、オーストリアからは雀の涙ほどの賠償金しか取らず、しかも、領土の割譲要求すらしなかったそうだな?」

──御意。

この国王の詰問に対し、ビスマルクは諭すように答えます。

──陛下。我々の最終目的を忘れてはなりませぬ。

「常に目的を見定める」

プロシアの最終目的。

もちろんそれは「ドイツ統一」です。

こたびの戦争でオーストリアという〝目の上のたんこぶ〟をつぶすことに成功したものの、依然として南ドイツが屈服していませんでした。

彼らは頑なにプロシアに跪くことを拒絶していたのです。

これを押さえ、ドイツ統一の宿願を果たすためには、南ドイツの後盾となっていたナポレオンとの決戦は避けられない情勢となっていました。

──今ここでオーストリアに大勝したことで思い上がり、真の目的を忘れ、オーストリアに苛酷な要求をすれば、如何がなことになるでしょうか。かの国の深い恨みを買い、来るべきフランスとの戦争において、敵国(フランス)に味方されることは必定でしょうな。そうなれば、仏墺(フランスとオーストリア)に挟み撃ちにされ、我が国には百にひとつの勝利もなくなるのですぞ!

これを聞いたヴィルヘルム1世は己の不明を羞じ、ひと言。

「余はそこまで考えが及ばなんだ。善きに計らうがよい」

以後、ヴィルヘルム1世は、ビスマルクの政策にはいっさい口を挟まなくなったといいます。

戦略と戦術はまったく違います。

首相ビスマルクは常に「戦略」を見ながら指示を出し、陸相ローンが「作戦」を下し、参謀総長モルトケが「戦術」で最善の成果を出す。

戦略、作戦、戦術。

ビスマルク、ローン、モルトケ。

この3人が一丸となり、それぞれが己が領分で自らの才能を遺憾なく発揮すれば、残る“凡帝”ナポレオン3世を葬り去ることなど造作もないこと。

こうしてついに「ドイツ統一」は成し遂げられたのでした。

※本稿は、神野正史著『最強の教訓!世界史』より一部を抜粋編集したものです。

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