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敬天愛人~天を敬い、人を愛した西郷隆盛

2018年11月18日 公開
2022年06月15日 更新

童門冬ニ(作家)

島津久光
島津久光
 

西郷には「私心」というものがない

その計画とは、久光が大軍を率いて京都に向かう。そして京都を制圧し、幕府に対して人事や政治のやり方について意見を言う。そのときには勅使として天皇の代わりに誰か公家を立てる、というものだ。

西郷はせせら笑った。そして、こう言った。

「斉彬さまならそれができたでしょう。しかし、あなたは位もなければ何の資格もない。つまり、無位無冠の立場だ。そんな人間を朝廷も幕府も相手にするはずがない。やめたほうがいいでしょう。それから、上方の情勢というものはけっしてそんな甘いものではない。久光さまが乗り込んでいったからといって、京都を制圧できるものではない」

それでやめておけばいいのに、またもう一度、「斉彬さまならできたかもしれない」と言った。

久光はカチンときた。このとき久光はくわえていた煙管をバリバリと噛み、煙管にその歯形が残っていたといわれている。が、とにもかくにも久光は西郷を供に加えて都に上ろうと決意した。このとき久光は西郷に「先に行くことはよい。しかしどんなことがあっても馬関(下関の旧称である赤間関の別称)で俺を待て。そこから勝手な行動をしたら許さぬぞ」と厳しく命じた。

下関に先行した西郷は、そこで上方の情勢を聞いてびっくりする。それは、久光が今度上洛するのは、討幕の軍を起こすことだという誤報が飛びかっていたからだ。だから久光に続け、天皇の親兵として討幕軍に加わろうという運動が全国の浪士の間に広がり、どんどん上方に集結しているという、とんでもない誤解だった。久光という殿様はそんな人間ではない。逆に浪士を嫌っている。

薩摩藩士に対して浪人と付き合うことは許さない。久光は勤めを持たないでぶらぶらしながら政治に嘴を入れる浪士が大嫌いだ。こんな連中と付き合ったら許さぬぞ、という極端な考え方を持っているのが久光の実像だ。

驚いた西郷は、久光に止められていることを承知で上方に駆けつけ、過激派の説得にとりかかった。おくれて下関にやってきた久光は、あたりを見回して、

「西郷がいないぞ。西郷はどこへ行った」
「西郷は上方へ行きました。上方の浪士たちが不穏な動きをしているので、これを止めに参りました」

ところが、そんなことは久光には理由にならない。西郷はあきらかに自分の命令にそむいたのだ。久光は、ただ西郷憎しで、西郷を叩きのめさなければ気がすまない。思い知らせるいい機会がきた、というわけで、久光は大久保利通(当時一蔵)に「すぐ西郷を連れ戻せ。おまえたちが言い出したから俺はいやいやながら西郷を島から戻してやった。だが、すぐこのざまだ。あいつはトップを馬鹿にしている。勝手なことをしている。上司の命令も聞かない、組織の秩序を乱す。とうてい俺の部下として扱うわけにはいかない。罰してやる」といきまいた。

やむを得ず、大久保は上方に駆けつけて西郷を説得した。説得といっても彼なりの計算があった。大久保は西郷を兵庫の浜に連れ出して、「一緒に死のう」と言った。しかし本心ではない。大久保は大久保なりに計算をして、このまま死んでたまるか、西郷と道連れになるのはまっぴらだ、と思っていた。しかし、こういう言い方をしなければ西郷はおそらく聞いてくれないだろうと考えていた。そういう目算があった。

西郷はこれにほだされて下関に戻る。「どんなお咎めを受けても俺はおまえ(大久保)を怨まない。久光さまの命令に背いたことは事実だ」と、潔く罪を認める。結局、西郷は島に流されるが、今度は罪人である。最初は徳之島、そしてさらに沖永良部島という遠い島に流された。そこでは風通しのいい牢屋に入れられる。風通しがいいということは、寒い冬や嵐のときには、寒気や風雨が襲ってくるということで、早く言えば死んでしまえということである。西郷は栄養失調にかかり、死の一歩手前までいく。が、見かねた島の人たちの好意によって西郷は救われ、生き残ることができた。

西郷は耐えた。心に深い傷を負い、痛みをかかえながら耐えた。そして、その痛みにじっと耐えながら考えた。まず、身近なところから改革を進めよう。つまり、自分は、大きな目標に向かって小さな力で突出してしまった。だから失敗したのだ。俺一人が上方に行って浪士たちを止められるはずがない。事実止められなかった。

だから上方に行った浪士たちは島津久光に裏切られた。特に寺田屋に集まっていた薩摩藩士の過激派は殺されてしまった。久光が自分の部下を自分の部下の手で殺させるという、いわゆる寺田屋騒動まで実現してしまった。それほど久光の意志は強かった。意志が強いということは、つまり、久光が志士と呼ばれる浪士たちを徹底的に嫌ったことが原因だ。それを見極められなかったのは、やはり自分自身の力を過信していたからではなかったろうか──西郷はそう反省した。

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