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特攻を指示したのは誰か~回天特攻作戦参謀による証言

2018年12月25日 公開
2022年06月23日 更新

海軍反省会

回天
回天
 

特攻兵器と作戦を決定したのは軍令部だが……

本稿は、昭和56年2月13日に行われた、第11回「海軍反省会」において議論された内容である。『[証言録]海軍反省会』第2巻に収録されている。
ここでは、特攻の発端について疑問が呈されている。
そもそも特攻は作戦である、作戦であるということは、命令で行われるということに他ならない。誰がどこで発案し、起案して、誰が決裁したのか、実のところ、これが明瞭とは言いがたい。関係者がいずれもはっきり記録を残すことなく亡くなってしまっているからである。
ここで鳥巣建之助氏は、命令の根源は軍令部にあるはずであり、その決裁の時期の作戦部長である中澤佑氏の責任について言及している。しかし、決裁者が発案、推進したわけではない。決裁者は決裁者としての責任は問われて然るべきであるが、本当の発案者と、その特攻作戦を推進した人物は、更に追及されるべきであろう。
現実には、特攻兵器と特攻作戦との採用を決定し、推進したのは軍令部そのものであるが、ここに日本海軍軍令制度の落とし穴がある。
軍令部は本質的に天皇の参謀本部であり、職員は天皇の参謀なのである。海軍における参謀は、顧問であって指揮官ではない。従って、本質的には命令は出せないのである。
軍令部は、天皇の命令である大海令を艦隊に取り次ぎ、艦隊に対しては、作戦の指導をするが、命令はできないのである。当然特攻を発案し推進した組織としての軍令部に一義的な責任があるが、戦術である特攻作戦の実施あるいは実施しない決断は、実施部隊の長である艦隊長官に決定権が移る。
実際、レイテ決戦において、特攻作戦を継続する第一航空艦隊に、第二航空艦隊が合流した際、第一航空艦隊長官の大西瀧治郎は、第二航艦長官の福留繁に特攻作戦の実施を迫るが、福留は当初これを拒否して通常攻撃を行っている。結局は、通常攻撃が失敗して、福留も特攻に踏み切るのである。
これで分かることは、艦隊長官が特攻を拒否すれば、特攻の実施を強制することはできないということである。制度上、特攻作戦の実施が現場の長官に権限があるからこそ、大和特攻の時には、第二艦隊に連合艦隊参謀長がわざわざ、特攻をしてくれないか、と説得に行くのである。
しかし、回天や、桜花のように、特攻にしか使えない兵器を生産し、七二一空のように桜花を装備した部隊を与えられた艦隊長官が、これを使わないという選択はできないのも事実である。

※本稿は戸髙一成編、PHP新書『特攻 知られざる内幕』より一部を抜粋したものです。
 

「特攻を中央から指示したことはない」という中澤佑証言の正否

鳥巣 ちょっと今お配りしました、これをちょっと見て頂きたい。
昭和52年7月11日に、中澤佑さんが水交会で講演をやられて、そのときに特攻については中央から指示したことはないということが最後に出てます。
あれは、私は頭にピンと来たわけですよ。
実はね、あの中澤さんがあそこで講演される1年以上前に、東郷神社でやはり打ち合わせがあったときに、中澤さんが中央で特攻を指示したことはないと同じことを言われたわけです。
私は冗談じゃないよと思った。そういうことを言われるようなこの水交会に、わしは拒絶したいと言ったことがあるんです。
それでね、そのことをこれに詳しく書いてありますので、それは中澤さんはですね、誠にその点がけしからんと私は思うんですよ。

三代 僕の知っている範囲においてはね、特攻隊の生みの親の大西(瀧治郎・兵40)さんが(一航艦長官に)赴任する前に軍令部に来たわけですよ。
軍令部のほうでは、総長と次長と部長とね、それから中澤課長がおられたんです。
その場所でもって、やっぱりあれ、今の海軍航空隊の連中の実力じゃ到底敵を攻撃するなんてことはできないから、それは体当たりでもやるほかしょうがないでしょうと、こう言ったところがですね、みんな黙っちゃったと。
そして結局、口を開いたのは及川(古志郎・兵31)さんであってね。及川さんが、それはやむを得んだろうと言う。
しかし、君のほうから命ずるような態度をとってはいかんぞと。
ところが、志願してくる者があればね、その人を採用してやってくれと。
君のほうから強制してはいかんということを言われたんです。それは書いてあるんです。

鳥巣 いや、それはあくまで飛行機だけの話であってですね。その前に大海指四三一と四三五号に、連合艦隊の準拠すべき当面の作戦というのが7月に出ているんですよ。
そして、それによるとですね、とにかく特攻作戦をやれということがもう出て、既に神風特攻よりずっと前に(特種奇襲兵器として)回天の採用をしているわけです。
それは読んで頂ければ、それは特に何かといえば、19年3月に大本営が企画していて、もう我々にやれと言っているわけです。これは流れましたけれども。
そういうのがありまして、回天はですな、もう既に計画採用して、神風より遅くなったけれども、実際の計画はもう中澤さんがおられるときにやっているわけですから。
それをね、俺は中央では指令した覚えがないなんていうことを言われたこと自体おかしいんですよ。

三代 いやいや、それは時期が違うんじゃないかと。

鳥巣 いや、違いませんよ。

土肥 今の問題ね、みなさん、ちょっと待ってください。
この問題ね、中澤さんが講演されたときに、妹尾(作太男・兵74)君が質問したんです。
軍令部で特攻作戦を認めたんですかと。
そうしたら、中澤さんが、俺はそういうことはないと。土肥(一夫・兵54)君に聞けと私の背を叩いたんです。
これはね、今のお話の大西さんとの話じゃなくて、そのはるか前に回天も桜花も、④(まるよん)艇もみんなね、海軍省で決めて建造を始めてるんですよ。
そうするとね、特攻を軍令部一部長ともあろうものが知らないというのはおかしい、とこう言うんでしょう、鳥巣さん。

鳥巣 そうなんですよ。

三代 しかし、それは分かるけれどもね、それは時期が違うと思うんだよ。
だから、その兵器が体当たり式のあれじゃないとこう思うんだ。

鳥巣 いや、そうじゃないですよ。それは読んでくださいよ。
これはね、中澤さんがね。中澤さんがおられる間にですよ。

三代 中澤さんの言うのはね、飛行機による特攻なんだよ、あれは。
回天とか何とかというあれは黒島(亀人・兵44)だよ。
あの人がやってくれと言うからしょうがなくて海軍省でやったんだ。

野元 これは統率上の大きなテーマとして、これをやって頂きたいと思う。

鳥巣 でも、中澤さんに対してはね、けしからんと。
少なくともその中澤さんが、自分が知らなくてもですよ、中央でそれをやっているならば調べてですな、なるほど、俺が軍令部作戦部長をやってたときにこういうことをやったんだということをね、当然中澤さんは知っていなきゃならんはずですよ。

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