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高知城が「日本唯一の城」である理由

2019年03月18日 公開

歴史街道編集部

 

 

南海道随一の名城

 2017年3月から約2年間、大政奉還150年及び明治維新150年を記念して行なわれた、「志国高知 幕末維新博」。大河ドラマ「龍馬伝」が放送された2010年を凌ぐ観光客が高知県を訪れたといい、あらためて「土佐の歴史」の魅力が再注目された。

 そんな高知において、人びとの誇りでありシンボルなのが、「南海道随一の名城」とも謳われる高知城だ。その雄姿は高知市街の多くの場所から眺めることができるし、県外の人間ならば「城のある街」の情緒と贅沢さに、思わず羨望の眼差しを向けてしまう。

 高知城を訪れて、まず驚かされるのがそのスケール感だ。追手門を潜り、石段を上がっていくと、やがて青空に天守が浮かび上がってくる。静寂のなか、迫力ある石垣のあいだに佇んでいると、タイムスリップして歴史のなかに入っていけそうな気分にすらなる。

 

名手による築城

 高知城築城は関ケ原合戦翌年の慶長6年(1601)9月、土佐に入った山内一豊によって始められた。この地に城を建てようとしたのは、一豊が初めてではない。かつて土佐からほぼ四国を統一した長曾我部元親も築城している。

 しかし、元親は城下町整備の途中で工事を断念していた。入海と二大河川のデルタのため工事が困難だったからだ。その後、豊臣秀吉の朝鮮出兵の指示に対応するため、元親は海運の便利な浦戸湾口、桂浜の丘上に浦戸城を築いている。

 そんな「難所」に、一豊は城を構えようとしたのだ。このとき活躍したのが、当代随一の築城家としてその名を馳せていた百々越前守安行である。安行は一豊より普請奉行に任ぜられると、「穴太(あのう)」という伝統的な石積み技法で、堅固な石垣がめぐる城を築いてみせた。

 慶長8年(1603)、一豊は本丸と二ノ丸が整った城に移り住んだ。そして同時に、この城を「河中山城(こうちやまじょう)」と名付けた。「河中山」が「高智」と改められたのは、二代城主・忠義の時代である。

 

日本で唯一の貴重な遺構

 現在、日本国内には江戸時代以前の天守を往時のまま残す城は12城しか存在しない(いわゆる現存天守)。高知城はその貴重な城のひとつであり、そう聞いただけでも、訪れる価値があると感じる方は少なくないだろう。

 一豊時代の天守は享保12年(1727)に焼失したため、現在の天守は延享4年(1747)8月に再建されたものだ。礎石や土台の位置は、一豊時代と同じである。その姿は、創建当初のものを再現したと伝えられている。

 高知城最大の特徴は、天守、御殿、廊下橋など本丸全体の建築群が、石垣などとともに完全に現存している点だ。先ほど現存天守は12城のみと紹介したが、本丸全体となると日本で唯一の城である。極めて貴重な遺構と呼んで差し支えないだろう。

 150年前の明治維新の折には、全国に250余りの城郭があった。そのなかで、高知城だけが城の本丸の全機能と形態を、今日に伝えている。だからこそ高知城を訪れれば、大げさではなくタイムスリップした感覚に身を委ねることができるのだ。

 

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六階の望楼から見渡す高知城下 >



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