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なぜ薩摩藩は琉球を攻めたのか?~明・清との関係と貿易利益

2019年05月14日 公開

山本博文(東京大学教授)

首里城
首里城(沖縄県那覇市)
 

島津氏の勢力拡大による危機

堺の商人の活躍を描いたNHK大河ドラマ『黄金の日日』(原作は城山三郎、ドラマ脚本は市川森一が手掛けた)は、ある程度の年齢以上の方にとってはおなじみではないでしょうか。

時代物といえば武士が活躍するのがお決まりの大河ドラマで、初めて商人にスポットを当てた斬新な切り口ながら、そのドラマチックな展開によって大ヒットしました。この物語は、海洋貿易が活発化していた戦国時代の商人の世界が舞台になっていますが、それだけ、商人たちが自由に活躍できた時代だったことを示しています。

16世紀に入って活発化した日本の貿易商人の躍進が、海洋国家として発展していた琉球の衰退を招く一因になっていました。独立国だった琉球は、最終的に日本の一地方としてその勢力圏の中に飲み込まれていくわけですが、どのような経緯をたどっていったのでしょうか。

室町幕府が衰退していくと、日本の商人が貿易に乗り出すようになり、乱世に後押しされるように一気に活発化するわけですが、琉球にとって決定的だったのは、戦国時代の末期に薩摩の島津氏が大隅と日向を統一して南九州を制覇したことです。島津氏は、半島のさらに先に広がる南西諸島へと食指を伸ばし、日本から琉球に向かう貿易を独占しようとするのです。

それまで、日本のどこからでも自由に琉球へ行けたのに、島津氏に許可を得て「琉球渡海朱印状」の発給を受けなければ渡航できないという決まりをつくってしまい、琉球に対しても朱印状を持たない船を港に入れないよう要請しました。島津氏によれば、室町時代に幕府から「琉球を薩摩の付庸国とする」という許しを受けたということで、それを根拠に琉球貿易の独占を正当化していったのです。

ほどなくして、秀吉の九州攻めによって島津家は秀吉に服属します。秀吉は、朝鮮出兵を行う際、琉球を与力として島津氏に付けるという朱印状を出します。これには、島津氏が琉球の兵をも召し連れるよう書かれていました。島津氏は、琉球に対し兵こそ出させませんでしたが、軍役に相当する費用を負担させました。

琉球国では、薩摩の独占体制を歓迎するはずもありません。明の冊封を受けたり、日本の室町幕府に家臣のような扱いを受けたりしても甘んじて受け入れてきたのは、あくまで自国の独立性を守るためでした。そこで、薩摩からの要求を、何かと理由をつけて実施を遅らせたりして時間稼ぎをしていました。

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幕府の威光として利用された琉球 >



著者紹介

山本博文(やまもと・ひろふみ)

東京大学史料編纂所教授

1957年、岡山県生まれ。東京大学史料編纂所教授。専門は日本近世史。東京大学文学部卒業。同大学院修了。文学博士。『江戸お留守居役の日記』(講談社学術文庫、日本エッセイスト・クラブ賞受賞作)、『歴史をつかむ技法』『「忠臣蔵」の決算書』(以上、新潮新書)、『日本史の一級史料』『天皇125代と日本の歴史』(以上、光文社新書)、『東大流 よみなおし日本史講義』(PHP研究所)など著書多数。ベストセラー「角川まんが学習シリーズ 日本の歴史」の監修も務めている。

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