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戦艦大和と零戦――日本が誇る傑作の問題点とは?

2019年07月22日 公開

戸高一成・ 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)館長

「史上最大の戦艦」と「万能戦闘機」に日本人は何を託したのだろうか…。現在発売中の月刊誌『歴史街道』8月号の特集1は、「戦艦大和と零戦」と題し、開発の経緯から激闘の軌跡までを辿っている。

その中で、海軍研究の第一人者・戸高一成氏が、大和と零戦が残した教訓と遺産について語っている。ここでは、両者の「問題点」について指摘した部分を紹介しよう。
 

戸高一成 Todaka Kazushige
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)館長。昭和23年(1948)生まれ、宮崎県出身。多摩美術大学美術学部卒業。(財)史料調査会理事、厚労省所管「昭和館」図書情報部長などを経て現職。著書に『海戦からみた太平洋戦争』『聞き書き 日本海軍史』、編書に『[証言録]海軍反省会』『特攻 知られざる内幕』などがある。

 

なぜ、開発が始まったのか

戦艦大和と零戦というと、全く関係がないものと思われるかもしれないが、それは違う。

昭和12年(1937)、日本海軍はいわゆる「マルサン計画」をスタートさせた。マルサン計画とは、海軍軍縮条約の失効を見越した新鋭艦隊建造計画である。

その中で、戦艦大和は新鋭艦隊の戦艦として、零戦は新鋭空母に載せるための戦闘機として位置づけられ、両者はいわば、「兄弟」ともいえる関係にあるのだ。

なにより、戦艦大和も零戦も、世界に誇るべき傑作であり、われわれ日本人にとって、極めて重要な歴史的遺産なのである。

そもそもなぜ、両者が開発されたのだろうか。

昭和12年10月、「十二試艦上戦闘機計画要求書」が三菱と中島飛行機に提示されて、零戦の開発が始まったが、大和の事前研究はそれに先行することおよそ4年、昭和8年(1933)に始まり、12年11月には呉海軍工廠で起工されている。

現在でも、世界最大の戦艦は大和(と二号艦の武蔵)である。今後、戦艦をつくる国は出てこないだろうから、その地位は未来永劫、変わらないはずだ。

「将来にわたって不動の史上最大の戦艦」ともいえる大和の出発点は、超大国アメリカを想定敵国としたことにある。

日清、日露戦争に勝利した日本は、明治40年(1907)、アメリカを仮想敵国と定めた。もっとも、軍事力、経済力、工業力と、あらゆる面で、アメリカは日本が互角に戦える相手ではない。それでも、想定敵国とした以上、「対米戦争になったとき、日本は勝たなければならない」という前提が生じる。

形の上だけでも「対米戦争に勝算がある」という回答を出す必要に迫られた海軍は、何を考えたか。

日米が武力衝突した場合、大西洋と太平洋に面するアメリカは、所有するすべての艦隊を日本に向けられるわけではない。

そこで日本海軍は、太平洋方面に来襲する米艦隊を想定し、それに全力であたれば五分五分になり得るという見通しを立てた。

そして、艦の数で劣っても、決戦では絶対に負けない艦をつくろうとした。これが、巨大戦艦大和の建造に繫がっていくのである。

一方、零戦の場合は、支那事変への対応が一つのスタート地点だった。

当時、海軍の主力だった九六式艦上戦闘機は航続距離が短く、蔣介石がいる内陸の重慶を攻撃する爆撃機の護衛ができなかった。結果、日本の爆撃機は戦闘機に迎撃され、多数の被害を出す。

そのため、九六艦戦に替わる次期艦上戦闘機として開発が予定されていた「十二試艦戦」(零戦)に、長距離戦闘機としての要素を加え、完成が急がれたのである。

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