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ロシアとはいかなる国なのか~民族、地政学、社会文化から読み解いてみる

2019年08月23日 公開

宇山卓栄(著述家)

ロシア人の覇権主義のDNA

中世以来、ロシアは多民族国家であった。スラヴ人・ノルマン人のみならず、チンギス・ハンらモンゴル人の侵入の例のように、アジア人も多く入り込む。

近代以降、ロシアの領土が拡大するにつれ、民族の多様性は増し、混血が繰り返される。

特に、アジア系トルコ人のコサックと呼ばれる遊牧民族を従わせることに、ロシアは注力した。「コサック」はトルコ語に由来し、「自由の人」や「冒険家」を意味する。

17世紀から18世紀前半にかけて、ロシア帝国が強大化すると、大砲の威力で、コサックの騎馬隊を蹴散らし、ウクライナや南ロシアなどのコサック居住地域を併合した。

西洋諸国と比べ、経済発展が遅れたため、西洋的な商業国家のように、法や社会のルールに従うというよりはむしろ、力の強弱が物事を決める基準になっていった。

大小の民族や部族勢力が覇を競い合い、複雑に混在する状況で、統治者たるロシア皇帝は絶対的な力を持たなければならなかったのだ。また、ロシア皇帝は広大なロシア領土を統治するためにも、力を必要とした。

例えば、16世紀に君臨し、「雷帝」と恐れられたイヴァン四世のような独裁者が現れた。彼のように、暴虐非道な皇帝であったとしても、指導者は統率力に優れたカリスマでなければならない。少しでも、指導者が軟弱な姿勢を見せれば、大小の民族や部族勢力が増長し、国土を分断させ、戦乱を引き起こす。

力こそが絶対的正義とする思想がロシア人の独特の精神文化を生み、それが今日のロシア政治のDNAに受け継がれている。

19世紀半ば以降、ロシアは中東イランや中央アジア、満州、極東方面にまで領土を拡げ、この地域における中東人やアジア人をも支配し、世界最大の多民族国家となった。同世紀末には、人口が1億人を超えている。この時代、イギリスの人口が約2千5百万人、フランスの人口が約4千万人である。

巨大な人口と国土を統治するロシア皇帝には、ますます、強い権力が必要とされていった。帝国の復活を狙う現代の皇帝・プーチン大統領にとっても、それは変わらない。
 

地政学――領土拡張の歴史的習性

大いなる海へ

ロシアは内陸国家(ランド・パワー)である。そのため、常に海への出口を獲得しようとする。ロシアが2014年、クリミア半島を併合し、黒海への出口を得たことも、こうした歴史的習性によるものだ。

海への出口は軍事的な拠点であるばかりでなく、経済的にも重要な海洋交易の拠点となる。ロシアはモスクワ大公国以来、内陸にあり、海への出口を持っていなかった。

18世紀前半、ピョートル一世は北方のバルト海へと進出しようとするが、既にバルト海の覇権はスウェーデンによって、押さえられていた。そのため、スウェーデンと戦う(北方戦争)。この戦争はロシアの命運を決する総力戦となった。1721年、遂に勝利したロシアはバルト海に進出し、その沿岸に新首都ペテルブルクを建設した。

ピョートル一世が北部のバルト海方面へ領土を拡大したのに対し、18世紀後半、女帝エカチェリーナ二世は南部の黒海方面へと向かい、オスマン帝国からクリミア半島を奪う。そして、黒海の制海権を握った。

クリミア半島はロシアにとって、南の海への出口であり、欠かすことのできない重要な戦略拠点であることは、今も昔も変わらない。

こうして、バルト海と黒海を繫ぐ南北の物流動脈がロシア領内に形成され、交易が活発になって経済が躍進、国力を急速に増大させていく。

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