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倭(ヤマト)は国のまほろば……なぜ、人々は『万葉集』に魅かれるのか

2019年09月09日 公開

関裕二(歴史作家)

ヤマトを代表する霊山・三輪山
ヤマトを代表する霊山・三輪山

※本稿は、関裕二著『万葉集に隠された古代史の真実』(PHP文庫)より、一部を抜粋編集したものです。
 

『万葉集』とヤマトへの郷愁

『万葉集』と聞くと、どこか牧歌的なイメージがつきまとう。

歴史書には登場しない、古代の人々の息づかいが、『万葉集』からは聞こえてくるのは確かなことだ。

たとえば、筆者お気に入りの志貴皇子(天智天皇の子。今上天皇の御先祖様にあたる)の歌に、次のようなものがある。

采女の袖 吹き返す 明日香風 京を遠み いたづらに吹く(巻一―五一)

この歌は、飛鳥から都が新益の京に移ったのちに作られたもので、「采女の袖」「明日香風」のフレーズだけでも、匂い立つような映像が湧き上がる。われわれの持つ飛鳥のイメージにぴったりと合った、優雅で気品のある作品である。

志貴皇子の歌を、もうひとつ挙げておこう。

葦辺行く 鴨の羽がひに 霜降りて 寒き夕へは 大和し思ほゆ(六四)

葦辺を行く鴨の羽に霜が降る寒い夕方には、ヤマトが偲ばれる、という歌である。

志貴皇子が難波に赴いていた時に、故郷を思い出した歌である。長期の滞在ではなかったが、それでもヤマトが恋しくてたまらないというのである。

『万葉集』を彩るのは、ヤマトの景色である。

四方を山に囲まれ、原始の草原が広がっていたであろう古代のヤマトは、桃源郷のような美しさを湛え、神の宿る地として崇められ、郷愁を誘う地だった。

万葉歌のすべてがヤマトにまつわるものではない。けれども、ヤマトに都が置かれた時代の空気が、「萬葉集の背景」に横たわり、われわれはそこに憧れるのである。

これは『万葉集』ではないが、『古事記』にはヤマトへの帰還を夢みながら、旅の空に散ったヤマトタケルの次の歌が残されている。

倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし

ヤマトは国の中心で四方を青垣(山)に囲まれたすばらしい地だ、と歌い上げている。

ヤマトを舞台にした秀歌は、いくつも挙げることができる。

味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隈 い積るまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 情(こころ)なく 雲の 隠さふべしや(巻一―一七)

味酒は三輪の、あをによしは奈良の枕詞だ。この歌は、天智6年(667)に都が飛鳥から近江に移された時の歌で、額田王の作という。

三輪山はヤマトを代表する霊山だ。奈良の山並みに隠れてしまう前に、一目三輪山の姿を焼きつけておこうとした額田王は、三輪山が雲に隠れてしまうことを、「無情だ」と嘆いている。

これには反歌がそえられる。

三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情あらなも 隠さふべしや(一八)

内容は、先の歌の反復である。ヤマトのシンボル三輪山への強烈な愛着がみてとれる。また、ヤマトを捨て、近江に移らねばならぬことに対する抵抗の意志が、ここには秘められている。

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