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山本権兵衛~日本海軍を創った公正無私なリアリスト

2020年03月04日 公開
2023年02月22日 更新

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

山本権兵衛
 

「人を見る目」と 「日本型統率」 

日露戦争に向けた準備の中で、統帥の問題は海軍にとって重要だった。

前述したように、海軍の指揮は陸軍参謀本部に任されていたが、日露開戦の前年、山本権兵衛は海軍軍令部を独立させた。参謀本部と横並びの組織にして、海軍のことは海軍が指揮する体制を整えたのだ。

陸軍がいくら頑張ったところで、制海権を失い、補給が途絶えたら、大陸に送り込んだ軍隊は孤立する。

したがって、制海権は陸軍にとって生命線ともいえるが、海のことを知らない陸軍の指揮下にあって、それが維持できるかどうか……。

海軍が作戦を立て、指揮を執る体制は、ロシアとの戦争において、不可欠の要素だったのである。

それから、「そろそろ予備役だろう」と見られていた東郷平八郎を、連合艦隊司令長官に抜擢した人事も、忘れてはならないだろう。

リアリストの権兵衛は、規則一点張りではなく、フレキシブルに人間の能力を測った。それを端的に物語るのは、甥の山本英輔の才能を見込んで、海軍に入れようとしたときのエピソードだ。

山本英輔は身長が兵学校に入学する基準に達していなかったが、身体検査の場に権兵衛があらわれ、そっぽを向いて「すぐに育つ」とつぶやいた。そのおかげで、英輔は合格したともいわれる。

「背が高い低いで合格・不合格を決めるのは馬鹿馬鹿しい。大事なのは能力だ」

これが権兵衛の考えであり、おそらく有能な人間だと見たら、他の受験生にも同じことをやったはずだ。ちなみに山本英輔は、海軍大将まで進んでいるが、航空戦力の将来性に最初に注目した人物とされている。

東郷の抜擢にしても「能力」を買ってのことであり、連合艦隊司令長官としての働きは、権兵衛の「人を見る目」が卓越していたことの証左である。

それに加えて、「任せたら、細かいことまで口出ししない」という「日本型統率」を、権兵衛が実践できたことも、評価したい。

西郷従道、大山巌がそうなのだが、彼らは「現場を動かす人間が判断したら、それでいけ」と支持するのが仕事だと考えていた。だから、自分でばたばた動かず、部下に「しっかりやれ」「何かあったら、俺が責任を取る」という態度を取った。これが「日本型統率」である。

能力のある人間であっても、一人でやれることには限りがある。その限界を超えようとするならば、権限を有する者が部下の能力を発揮できるよう支えることは、きわめて大きな意味をもつ。

権兵衛もまた、東郷に対して口出しをしていない。上司だった西郷から「日本型統率」を学び、それを日露戦争で実践したのだ。

日清戦争前の人員整理は、西郷がいたから可能だったように、日露戦争における連合艦隊の成果は、東郷の能力だけでなく、その力を発揮させた権兵衛がいたからだといえよう。そして、東郷は秋山真之の能力を信じていた。

*   *   *

公平無私で筋を通した山本権兵衛の一生は、多少の雑音はあったものの、非常にクリアだった。

ただ、権兵衛ほど、総理大臣としての運がない人はいない。

海軍を切り盛りした能力は、そのまま国家を切り盛りできる能力に通じ、権兵衛には総理大臣としての能力は十分にあったはずだ。

しかし、大正2年(1913)に誕生した第一次山本内閣は「シーメンス事件」(ドイツのシーメンス社に関係して、海軍高官の収賄疑惑が取りざたされた)、大正12年(1923)に発足した第二次山本内閣は「虎ノ門事件」(無政府主義者の難波大助が摂政宮を狙撃した)で倒れた。

直接本人とは関わりのない原因で内閣が潰れたことは、権兵衛にとって気の毒だったし、日本としても残念な結果になった。

権兵衛が総理大臣を務めた期間は、合わせても2年に満たない。それでも、いくつかの実績は残している。中でも、関東大震災の後の第二次内閣で、帝都復興院総裁に後藤新平を任命したことが目を引く。

後藤を選んだのは、台湾統治の実績を知っていて、東郷平八郎を選んだのと同じく、「能力」を買ったからだろう。

4カ月あまりで山本内閣が総辞職したため、後藤をバックアップすることができず、最終的に十分な結果は得られなかった。後藤を使っての首都・東京の復興は、権兵衛にとって最後の大仕事になるはずだった、といっていいのかもしれない。

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