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第62代・村上天皇の皇位継承



2020年07月15日 公開

吉重丈夫

京都御所

「令和」という新時代を迎え、歴代天皇の事績をふりかえります。今回は村上天皇をお届けします。

※各天皇の年齢等については数え年で計算して記しています。
※即位年、在位年数などについては、先帝から譲位を受けられた日(受禅日)を基準としています。
※本稿は、吉重丈夫著『皇位継承事典』(PHPエディターズグループ)より、一部を抜粋編集したものです。

皇位継承事典
 

第62代・村上天皇

世系39年、21歳、在位22年、宝算42歳

皇紀1586年=延長4年(926年)6月2日、醍醐天皇の第十六皇子(皇統譜)として誕生された成明親王で、母は藤原基経の娘で中宮の穏子である。先帝・朱雀天皇の3歳年少の同母弟に当たる。先々帝・醍醐天皇には多数の皇子がおられたが、やはり基経の外孫である朱雀天皇と村上天皇が年齢などに関係なく即位しておられる。

皇紀1600年=天慶3年(940年)、右大臣・藤原師輔(藤原忠平の次男、基経の孫)の長女・藤原安子が成明親王(15歳)に入内する。

皇紀1604年=天慶7年(944年)4月22日、成明親王が19歳で立太子(皇太弟)され、妃・藤原安子が皇太子妃となられる。

皇紀1606年=天慶9年(946年)4月20日、先帝で同母兄の朱雀天皇の皇子女としては後冷泉天皇の中宮となられた昌子内親王だけで、皇子がおられなかったことで、朱雀天皇(同母兄)からの譲位を受けられ、4月28日に21歳で即位された。

11月16日、大嘗祭を催行される。

異母兄には光孝天皇の外孫(母が光孝天皇皇女の源和子)として式明親王、有明親王がおられたが皇位を争われた記録はない。そして第十皇子に源高明がおられたが、後に「安和の変」で流罪になる。

皇紀1607年=天暦元年(947年)4月26日、藤原忠平の子の実頼、師輔兄弟が揃って左大臣、右大臣に昇進し、父の関白太政大臣・藤原忠平と共に太政官の頂点を独占、忠平親子で政権を担う。

皇紀1609年=天暦3年(949年)8月14日、先帝に続いて、村上天皇の外叔父であって関白を務めた藤原忠平が死去する。以後、天皇は摂政関白を置かず、忠平の息子の実頼、師輔兄弟を左右大臣に据え、崩御されるまで18年間親政を行われた。

後世、この村上天皇の治世は、天皇親政により理想の政治が行われた御世として聖代と崇められ、前に天皇親政が行われた父帝・醍醐天皇の御世の「延喜の治」と併せて、後世「延喜・天暦の治」と

崇められる。

この年9月29日、陽成法皇が82歳で崩御される。上皇歴65年は最長である。

皇紀1610年=天暦4年(950年)7月、村上天皇と藤原師輔の娘・藤原安子との間に誕生された第二皇子・憲平親王(冷泉天皇)が、第一皇子の広平親王を飛び越して、生後2ヶ月で立太子される。実力者である藤原実頼・師輔兄弟の権勢による。

第一皇子・広平親王は母が大納言藤原元方(藤原南家)の娘で更衣(女御に次ぐ令外の后)の藤原祐であった。立太子、天皇即位が母方の父(外祖父)の出自で決まる時代であった。

皇紀1618年=天徳2年10月27日、「立后の宣命」を発せられ、藤原師輔の娘・安子を中宮とされた。

皇紀1627年=康保4年(967年)5月25日、ご在位のままで、在位22年(21年1ヶ月)にして42歳で崩御される。



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