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「俺、書こうかな」。祖父・半藤一利から孫娘の編集者に託された一枚の企画書

2021年05月05日 公開
2022年10月06日 更新

北村淳子(編集者)

半藤一利  『戦争というもの』

2021年1⽉に逝去した昭和史の語り部、半藤⼀利⽒。⽣前最後の連載原稿を書籍化した『戦争というもの』が刊⾏される。

その本では、太平洋戦争下で発せられた軍人たちの言葉や、流行したスローガンなど、あの戦争を理解する上で欠かせない「名言」の意味とその背景を解説している。戦争とはどのようなものか」を浮き彫りにした、後世に語り継ぎたい珠玉の一冊である。

本稿は、半藤氏の孫であり、本書の編集を担当した北村淳子氏の編集後記から、出版にまつわる祖父とのエピソードを紹介する。

※本稿は、半藤一利 著『戦争というもの』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

“普通のおじいちゃん”だった

この本の原稿が私の手元に届いた時、まさかこれが「歴史探偵」半藤一利 の遺作になるとは思いもよりませんでした。半藤は、私の実の祖父にあたります。

私が半藤一利の孫だと言うと、皆さん決まって「半藤先生ってどんなおじい様なのですか」と興味津々に聞いてきます。そして私も決まって、「普通のおじいちゃんですよ」と答えてきました。

孫には甘く、私が成人して晴れ姿を見せれば、ちょっと恥ずかしそうに目 じりを下げる。お酒が好きで、私がお酌をすると、嬉しそうに飲んでくれ る。

私にとって祖父は、長らくそんな普通のおじいちゃんでした。 私が編集者になりたいと伝えた時も、「そんなもん、やめとけ」と、笑って言われたのをおぼえています。

それでも祖父は、本気で反対するわけでも、かといって賛成するわけでもなく、ただ応援してくれていました。 祖父が「普通のおじいちゃん」ではない、と肌で感じるようになったのは、私が編集者になってからです。

出版界に身を置いて編集の仕事をしていると、祖父の存在、そして彼が書くものの尊さが身に染みてよくわかります。祖父は時折、作家として、そして編集者としての顔も見せてくれるようになりました。

それでも、私はまだ、本当の意味で祖父をわかっていなかった。この『戦争というもの』の原稿を読んだ時、それを思い知らされました。 この本は、半藤一利自身の手で企画されたものです。

 

入院を繰り返す半藤氏から託された「一枚の紙」

半藤一利 『戦争というもの』
半藤一利氏直筆の企画書

事の発端は、祖父の骨折。2019年8月、未知のウイルスによる混乱がまだ起きていない頃、 祖父は酒に酔い、すっ転んで脚の骨を折りました。救急車で搬送されて、そのまま入院。

心配しながら苦言を呈しているであろう、祖母の渋い顔が目に浮かびました。 手術を受け、治療やリハビリを続けたのですが、状況は芳しくなく、むしろ悪化していきました。

祖父もその時、89歳でしたので、体力の消耗に勝てなかったのかもしれません。入院したばかりの頃は欠かさず読書もしていましたが、入院やリハビリを繰り返す半年間のうちに、本を読む気力もなくなってしまったようでした。

そうこうしているうちに、謎の感染症が流行していき、もしかすると簡単 に会えなくなるかもしれないと思った私は、急いでお見舞いに行くことにしました。

私が病室に行くと、祖父は少し痩せてはいましたが、「おう、よく来た な」と、起き上がって話をしてくれました。母からは「最近はベッドで寝てばかりいる」と聞いていましたが、思いの外元気な様子でした。

正直に言うと、この時何を話したかはあまりおぼえていません。今になるとそれも悔やまれますが、きっと他愛もない話だったのだと思います。 私が帰った後、祖父は母に、「俺、書こうかな」と、ぽつりと言ったそうです。

その後、母を通じて私に一枚の紙が渡されました。そこには太平洋戦争下で軍人が発した言葉や流 行したスローガンなど、「戦時下の名言」と称された言葉が隙間なく、びっちりと書かれていました。

それは祖父が書いた「企画書」だったのです。そこに書かれていたタイトル案は、〈「太平洋戦争記憶してほしい37の名言」、あるいは「孫に知ってほしい太平洋戦争の名言37」〉 ――。

母から、祖父がこれを書く条件は、私が編集することだと聞かされま した。 喜びよりも、戸惑いが先に立ちました。その頃には、私も編集者になって数年が経っていましたが、普段担当しているのは主に小説の編集で、完全に畑違いなのです。

そんな私が扱っていい原稿なのか自信がありません。そのくらいには祖父の大きさを理解していました。しかも「孫に知ってほしい」 なんて、完全に身内ネタです。本に書いて世に出さずとも、直接語ってくれれば良いのに。

そんな企画があって良いのか、生意気にも編集者としても悩みました。 けれど、本も読めないほど気持ちが落ち込んでいた祖父が、再び本を書くために動きだした。

何十冊も書いてきた祖父が、病院のベッドの上にいてもなお、書きたいことがある。それならば、と覚悟を決めました。 改めて話を聞きに行くと、私が病院につくなり祖父は、「今年は数え年でいうと、太平洋戦争開戦80年で」と、企画主旨を滔々とプレゼンし始めました。

その時の声は、とても力強く聞こえました。そして雑誌『歴史街道』 での一部連載の後、加筆して書籍にするという算段がつき、祖父の企画は本格的に動きだしたのです。

 

祖父と孫が本に込めた“願い”

2020年7月には連載が始まり、11月に終わり、そして今年の一月に祖父は亡くなりました。企画段階では37あった「名言」ですが、実際に綴られたのは雑誌に掲載された14のみ。

すべて書き切れなかったことだけ は無念であったろうと、少し胸が痛みます。 きっと祖父は、これを最後の仕事にするつもりはなく、復帰後最初の仕事にしようと考えていたのではないかと思います。

ただ、祖父も高齢でしたし、先があまり長くないことを意識してはいたのでしょう。だからこそ、いつなにがあっても良いように、戦争を知らない世代のために、これだけは今 書き残しておかなければならないと、私にこの原稿を託してくれた。そう思います。

直接語ってくれれば良いのに、と思っていたこの企画ですが、結局コロナ 禍で祖父とは自由に会うこともできなくなり、この原稿だけが私と祖父を繫ぐ「手紙」となりました。

連載原稿が送られてきてそれを読むたびに、祖父の経験した戦争というものの壮絶さに胸が詰まりました。見たこともない戦火が、目の前に迫ってくるようでした。日常とはこのように壊されていくの かと、恐ろしくなります。

この本は、祖父が最後に私に手渡してくれた平和への願いそのものでし た。本書が、祖父母から孫へ、戦争を知る世代から知らない世代へ受け継が れる、そんな一冊になることを、祖父とともに心から願っています。

 

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