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衛星もない時代にどうやって?...知られざる「天気予報の日本史」

2021年09月29日 公開

鷹橋忍(作家)

鷹橋忍

古くから日本人は、農作物の収穫量、安全な航海、戦など、多くのことを天気に左右されてきました。天気を予報するようなことわざも多くありますが、日本ではいつから天気予報が行なわれていたのでしょうか。天気予報の歴史を紹介します。

※本稿は、『歴史街道』2021年10月号から一部抜粋・編集したものです。

 

安全な航海に必要だった「日和見」

古来、天気の状況を判断すること、および判断する人を「日和見」といった。日和とは天気を指す。この日和見に命を懸けて臨んでいたのが、船乗りや漁師である。

江戸時代、日和見を主目的とした港近くの見晴らしの良い小山は「日和山」と名付けられ、頂上には方向を確かめるための方角石が置かれていた。船乗りや漁師らはこの場所に立ち、風や雲や潮を読み、航海に安全な天気・天候か否かの判断を下したという。現在でも日和山という名の山が、日本各地の港付近に残っている。

船乗りや漁師が、海に出た際、悪天候に遭遇すれば、船は難破し、積み荷を失い、命も危険にさらされる。造りも材質も機能も現在のものより遙かに劣る船で、天気予報も無線もテレビもラジオもないとすれば、日和見に真剣に取り組まざるを得ない。ゆえに、彼らの天気予報は実によく当たったという。

 

御雇外国人による近代化

日本の天気予報の近代化は、東京気象台から始まる。

東京気象台は、御雇外国人(指導者として雇用した外国人)のイギリス人ジョイネルが、明治政府に気象観測の必要性を進言し、東京府第二大区(のちの赤坂区)に造られた。気象庁の前身である。明治8年(1875)6月1日に地震観測、6月5日には1日3回の気象観測が開始された。

この気象台では、明治16年(1883)2月16日、ドイツ人のクニッピングの協力を得て、日本で初めての天気図が作製(試行)され、3月1日から毎日の印刷配布が始まった。同年5月26日には日本初となる暴風警報が発表されている。

当初、気象台は、悪天候が予想される時に暴風警報を発表するだけであったが、その後明治政府は、天気予報も出すようクニッピングに要請した。暴風に見舞われる日はそれほど多くなく、その間、気象台は何もしていないのではないかという非難の声が上がったからだという。

そうして、翌明治17年(1884)6月1日、ついに、天気予報が開始された。

記念すべき最初の天気予報文は、「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ但シ雨天勝チ」である。たった一つの文で全国の予報を伝えた予報文は、東京の派出所などに掲示された。

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