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児玉源太郎と後藤新平 満洲経営の幕開けの歴史に秘された人間ドラマ

2022年02月25日 公開

江宮隆之(作家)

児玉源太郎
児玉源太郎(国立国会図書館)

満洲を清国に早期返還すれば再びロシアが占領し、日本人が大量の血を流した日露戦争が無に帰すだろう…。満洲軍総参謀長として日露戦争を勝利に導いた児玉源太郎は、そのように考え、南満洲鉄道によって満洲を経済的に発展させ、東アジアの安定を導くとともに、ロシアの占領を防ぐという新構想を練ることになりました。そしてそのグランドデザインと志を後藤新平に託すことになったのですが…。

※本稿は、歴史街道編集部編『満洲国と日中戦争の真実』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

【江宮隆之】作家。昭和23年(1948)生まれ。中央大学法学部卒業。『経清記』で第13回歴史文学賞、『白磁の人』で第8回中村星湖文学賞を受賞。『将軍慶喜を叱った男 堀直虎』『明治維新を創った男―山縣大貳伝』『明智光秀「誠」という生き方』『7人の主君を渡り歩いた男 藤堂高虎という生き方』『満洲ラプソディ―小澤征爾の父・開作の生涯』など著書多数。

 

史上最強コンビ、満洲構想を練る

史上に名コンビといわれる組み合わせは多いが、明治後期の児玉源太郎と後藤新平の二人こそ、スケールの大きさ、信頼関係の深さ、世界を見据える視点、そのどれを取っても最高最強のコンビであった。そしてこの二人が、日本の満洲経営の幕開けを飾ることになる。

児玉は長州支藩・徳山藩百石の家に生まれた。禄を失うなど苦労を重ねながら戊辰戦争にも参加し、維新後は叩き上げの陸軍下士官として次第に頭角を現わした。その性格は豪放磊落、事に当たっては冷静沈着の合理主義、現実主義に立った。

児玉は明治31年(1898)から明治39年(1906)まで8年間にわたって台湾総督の要職にあり、その間に陸軍大臣、内務大臣、文部大臣や陸軍参謀本部次長を兼務。日露戦争で満洲軍総参謀長として活躍した後、再び台湾に戻り、明治39年に総督を辞任して陸軍参謀総長となった。

児玉が台湾総督の職にあった8年間、最高の右腕として台湾民政局長・民政長官を務め、台湾開発・発展に実質的に取り組んだのが後藤であった。児玉は、後藤の仕事がやり易い環境を整え、新渡戸稲造など若い人材を採用した後藤を強力に後押しした。

のちに新渡戸はこんなことを語っている。「自分(新渡戸)が2時間かかって理解することを、後藤は20分で、児玉は10分で理解した」。児玉と後藤の能力を物語る逸話である。

明治38年(1905)9月、ポーツマス条約が締結され、日露戦争は終結した。この結果、日本はロシアから遼東半島南部の租借権と東清鉄道の南半分(長春から旅順・大連まで)を割譲された。ただし条約では、この鉄道経営は国営でなく半官半民と規制されていた。

戦後の満洲経営について「満洲問題に関する協議会」では、伊藤博文、山県有朋など元老や桂太郎首相の思惑や異論が絡み合って意見の一致を見ることがなかった。中でも伊藤は「満洲は清国の領土だから早期返還をすべし」とする消極論を主唱していた。

これに対して、児玉は「権利として得た鉄道を中心に、日本の権益を広げるべし」とする積極経営論を展開した。

伊藤の主張のように満洲を清国に早期返還したならば、そこに再びロシアが侵入してくるのは目に見えている。そうなったら、死者8万4千人、負傷者14万3千人を出した日露戦争は、まったく無意味の戦いに帰すではないか。満洲こそ、日本に敗れたとはいえ、今なお朝鮮、清国を窺う強力な大国であるロシアに対する必要不可欠な緩衝地帯ではないか。

 

児玉の描いたグランドデザイン

このような意見を展開する児玉の満洲経営論の骨子は、以下のようなものであった。

「先ず日露協商を実現し、南満洲鉄道(東清鉄道南半分)をシベリア鉄道経由でヨーロッパと結ぶことでヨーロッパ各国との貿易、交易を実現させる。南満洲鉄道を"世界を繋ぐ鉄道"とし、これによって満洲経済を発展させ、満洲を中心にした新しい東アジア共栄圏を作る。ここに日本、清国、ロシア、さらにはヨーロッパ各国が経済参加することで、清国などアジア各国の近代化にもつながるであろう」

これは、満洲に関係する各国がともに栄えようという意味で、満洲建国時に掲げられた「五族協和」すなわち、漢人・満洲人・蒙古人・朝鮮人・日本人が共栄し、それをアジアに波及させることを目指す精神の萌芽でもあった。

児玉は、日露戦争開始直後の明治37年(1904)5月に後藤から手紙で「イギリス東インド会社を念頭に入れた満洲経営を」という提案を受けていた。東インド会社は、イギリスがインドを植民地支配する際に経営主体になった半官半民の国策会社である。

後藤は、日露戦後の遼東半島から満洲に掛けてのグランドデザインを描くのは児玉であり、その場合手本にするのは東インド会社だ、と見据えていたのだった。

児玉の頭には、かつて自らが後藤とともに実践した台湾経営という成功例もあった。「経済を優先してこそ人々の暮らしは安定し、統治も困難ではなくなる」という考え方である。

いわば満洲でも同じ手法を用いることを、児玉は思い浮かべていたのだ。満洲の経済的発展によって東アジアを安定させることで、懸念される第二次日露戦争や満洲への列強進出も阻止できるというものである。武断的な支配ではなく、「民政優先支配」とでも言い換えることができるだろう。

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