歴史街道 » 本誌関連記事 » 「近くて遠い隣国・中国」日中両国はなぜ衝突を繰り返してきたのか

「近くて遠い隣国・中国」日中両国はなぜ衝突を繰り返してきたのか

2022年02月23日 公開
2022年07月07日 更新

岡本隆司(京都府立大学文学部教授)

 

日露戦争後の関係の変化

明治初期の日本にとって、仮想敵国は中国だった。アヘン戦争でイギリスに負けた中国に対して、「西洋式の軍備を整えれば負けない」との見方がある一方で、日本は大国である中国を恐れてもいた。

たとえば、交通の不便な呉(広島県)に軍港をつくったのは、中国を念頭に置いてのことである。「中国の軍艦が瀬戸内海まで進出してきた際に、対応しなければならない」という危機感があったのだ。

「清朝との戦争をやらないほうがいい」との国内の意見を押し切り、日本は戦争を始めて勝った。さらに10年後、ロシアとの戦争にも勝った20世紀の初めごろまで、日本と大陸の主たる関係は「政治的レベル」にとどまっていたといえる。

その後、日本が産業革命を進めて工業国になると、ロシアから得た満洲の権益に加え、工業製品のマーケットとして中国市場の重要度が増し、日中関係の経済的な比重が大きくなった。これと軌を一にするように、中国が西洋化を進めていく。

ロシアに対する日本の勝利が中国の西洋化を後押しし、日露戦争後の一時期、中国人が日本に留学して「西洋文明」を学んだ。そして明治44年(1911)、辛亥革命が起こり、翌年、中国は清朝という王朝国家から、中華民国という西洋流の国民国家へと移行した。

とはいえ、中国社会はヨーロッパ的な仕組みと合わないところが多く、めざした近代化ははかどらなかった。そこにつけこんで、日本や列強諸国が権益の拡大を図るが、中国が「国家主権」「ナショナリズム」などの西洋流の概念に目覚めたことで対立が劇化する。

特に満洲に権益をもつ日本が、中国のナショナリズムの標的となった。日本は中国のマーケットに依存し、一方、中国の人々も日本製品に対するニーズをもっていただけに、こうした政治的な対立は両国の人々にあたかも生木を裂くかのような事態をもたらした。

「政治的関係」を切り離し、「経済的関係」だけでつきあう、江戸時代のような通交は、当時の両国にはもはやできなくなっていたと思われる。さらに、第一次世界大戦以降、国際政治をリードするようになったアメリカが中国に同情的だったことは、日本に対するプレッシャーの一翼を担った。

日本が真似をしたヨーロッパ列強は、自分たちが武力によって、中国で植民地や権益を得てきた経緯もあって、「日本の行動にも情状酌量の余地がある」というスタンスをとっていた。だが、アメリカには後ろめたいことがほとんどない。しかも太平洋を挟んで日本と対立していたので、アメリカの対応は遠慮・仮借がなかった。

そうした要素が絡み合い、日中の政治的な交渉の失敗が深刻な事態につながる流れを、いっそう強めていった。そしてその帰結として、昭和12年(1937)の日中戦争へと至るのである。

なお、「同じことを西洋諸国もやっている。それを真似した日本だけを批判するのはおかしい」「中国がロシアに差し出したようなものだった満洲なのに、日本だけが中国を侵略していると非難されるのは不公平だ」と、日本人は思っているところがある。

しかし、西洋列強は国家・国民・国土という概念がまだ明確ではない時代の王朝国家・清朝を侵略したのに対し、日本は西洋化を進めている時代の中国に手を出している。そのため、日本の行動が目立つのは当然のことといえよう。

 

問題の根源...互いに相手のことを知らないという傾向

19世紀から20世紀にかけては、西洋のロジックを取り入れた日本が、東アジアの在来秩序のままだった中国と衝突した。20世紀前半からは、それまで稀薄だった双方の経済的な結びつきが深化する一方で、中国が西洋のロジックを取り入れて、日本に反撥した。近代の日中関係は、そのような構図として描けるだろう。

そこでポイントとなるのは、世界観、秩序観、そして社会の仕組みにおいて、日本と中国がまったく異なることを、互いに理解していなかったという点である。

日清戦争、日露戦争に勝った日本人は、自国を「文明国」だと思い、中国に「文明」を強要し、当時は「中国が日本のようになれないのは、劣っているからだ」という考え方が根強かった。そこに、「日本と同じようにいかないのは、それまでの歴史が作用しているからだ」という視点はない。

前述のように、日露戦争後に中国人留学生が日本へやって来たが、彼らにしても「西洋文明」を学ぶだけで、日本については勉強しなかったため、「なぜ、日本が西洋化できたのか」がわからなかった。近代の日中関係における問題の根源は、このように互いに相手の歴史を学ばなかったことにあるのではないだろうか。

もちろん、「互いにわかっていない」という状態は、どの国の関係にもあてはまり得るし、わかり合っていなくとも何となくうまくやっている国々もある。しかし、そうしたケースと比べて、日本列島と中国大陸の隔たりは、すぐれて大きいといわざるを得ない。

「互いに相手のことを知らない」という傾向はいまでも色濃く、根の深い問題である。その意味では、今日において、「日中関係の適切な処方箋」を見出すのはなかなかに難しい。ただひとつ指摘できるのは、「日本がどれだけ中国のことをわかっていないか」を理解することの重要性である。

少なくとも、「自分は相手をどこまでわかっているのか」と、常に懐疑的であるほうが、泥沼の対立に陥る危険は小さくなるのではないだろうか。

 

歴史街道 購入

2024年6月号

歴史街道 2024年6月号

発売日:2024年05月07日
価格(税込):840円

関連記事

編集部のおすすめ

「近衛声明」直前まで涙の訴え...“日中戦争”を止めようとした陸軍中将の実像

岩井秀一郎(歴史研究家)

陸軍兵力・軍艦数で劣る日本が、日清戦争で勝てた理由

原剛(軍事史研究家)

朝鮮出兵。秀吉の目的は何だったのか?~出兵理由の学説を読む

山本博文(東京大学教授)
×