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甥への愛から戦が勃発...“政治に染まれず”散った和田義盛の悲劇

2022年09月22日 公開

羽生飛鳥(作家)

和田義盛
和田塚

鎌倉幕府の公式歴史記録書である『吾妻鏡』。物語性が薄いはずの歴史書であるが、よく読んでみると、鎌倉幕府に関わった人物たちの個性豊かなエピソードが数多く記載されている。本稿では、合戦において一族への愛情深さを見せた和田義盛のエピソードを紹介する。

※本稿は、羽生飛鳥著『『吾妻鏡』にみる ここがヘンだよ! 鎌倉武士』(PHP研究所)より、内容を一部を抜粋・編集したものです。

 

和田義盛は「脳みそ筋肉人間」だった!?

和田義盛(1147―1213)
相模国(神奈川県)出身。相模国の豪族・三浦氏の一族。鎌倉幕府初代侍所別当。北条義時と対立し、和田合戦を起こして敗死した。

鎌倉幕府は、ひらたく言えば武士達を統括する機関だ。

侍所別当とは、荒っぽい武士達をまとめ上げる、いわば軍事長官の役職である。そんな鎌倉幕府の初代侍所別当に就任したのが、和田義盛だ。荒っぽい鎌倉武士達をまとめ上げられるだけあって、ただ者ではない。

源頼朝が挙兵したので駆けつけようとした時、うっかり勘違いして、戦う気のない平家方の武士団を攻撃して、敵味方双方に死者を出してしまった。うっかりのレベルがでかい。

石橋山の合戦で敗れて逃走中の頼朝に合流した和田は、勝利した暁には自分を侍所別当にしてくれとアピールする。頼朝が勝利すると信じて疑わない発言に、敗走中の沈んだ空気が一気に変わった瞬間だった。空気を読めないって、ある意味すごい。

平家との戦いが本格化して、平家の本拠地である西国まで他の武士達と共に遠征すると、和田はホームシックにかかる。故郷を恋しがる多くの武士達がいたが、よほど派手に恋しがったのか、唯一和田だけが名指しで書かれてしまった。

こうした逸話からわかるように、和田義盛は「脳みそ筋肉」だ。だが、ただの脳みそ筋肉人間ではなかった。

頼朝が、後白河院と対面するために都へ向かっていた時のこと。激しい雨が降ってきたので、頼朝一行は近くの屋敷に泊まった。

すると、屋敷の前を馬でうろつく不審者が現れた。当時、平家を倒したとはいえ、まだ残党がいて治安はひどく悪い。そこで和田は、矢を放って不審者を落馬させて生け捕りに成功。激しい雨が降っていて、視界不良なのに相手を殺さずに矢を当てられるとは、どんなスナイパーだ。

このように、和田には弓の名人という一面があり、『吾妻鏡』において、流鏑馬などの弓関連の行事には、頻繁に登場する。

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