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「藻谷浩介と行く南三陸鉄道講演ツアー」同行取材ルポ 後編

2015年06月09日 公開
2023年01月12日 更新

藻谷浩介(日本総合研究所主席研究員)

 

 気仙沼市は、06年に唐桑町、09年に本吉町を編入している。本吉町は東日本大震災の津波で大きな被害を受け、唐桑町はしばらくの間、孤立状態だったが、気仙沼市に比べて、報道も支援の手が届くのも遅かったと藻谷氏は振り返る。里見氏は本吉町に入って支援活動を行なっていた。

 気仙沼フェニックスというバッティングセンターで、ツアー参加者はバスを降りた。このバッティングセンターは、津波で9人家族のうち7人を亡くした千葉清英氏が、助かった長男との約束で作ったものだ。今では、大船渡や一関など、クルマで1時間ほどの距離からもお客が来るという。精神的な復興の拠りどころともなっているのだろう。

 参加者一同がそれぞれにバットを振ったあと、千葉氏もバスに同乗し、お話をうかがった。

バッティングセンター「気仙沼フェニックス」でバットを振るツアー参加者。

「私は震災前から牛乳販売店を経営しています。49周年を迎えて、50年目には地元に何か恩返しがしたいな、と思っていたところで、震災が起きました。

 私は事務所にいたところを津波に流されました。気仙沼の中心部を流れる大川にかかる曙橋の欄干につかまって、あばら骨を3本折ったものの、助かりました。当時、小学校3年生だった長男は学校にいて助かり、3日後に再会できました。

 他の家族は、7人とも同じクルマの中で亡くなっているのが見つかりました。

 従業員の生活を守らなければいけないと思い、葬儀をすませて間もない4月25日に会社を再開させました。何もないところからの再起動でした。

 そんな中、気を紛らわせるために、夕方になると長男と畑の中でキャッチボールをしていました。ボールもありませんから、新聞紙を丸めたものがボール代わりです。

 あるとき、仕事で定期的に行っている盛岡からの帰り道にあるバッティングセンターに、長男とたまたま入りました。それをきっかけに、2回目以降はそのバッティングセンターを目的に通うようになりました。すると長男が、『気仙沼にもバッティングセンターがほしい』と言ったのです。私は迷わず、『よし、やろう』と答えました。そのときに考えていたのは野原にピッチングマシーンを置いただけの簡単なもので、それならすぐにできると思ったのです。

 しかし、なかなか手を着けられないでいるうちに、長男からせっつかれてしまいました。そのとき、『約束を破る姿は見せられない』と思い、なんとか長男が小学校を卒業するまでにオープンさせたいと、本格的に取り組みました。結局、卒業式には間に合いませんでしたが、中学生になる直前、14年3月30日に開業できました。オープン時には、気仙沼が地元の小野寺五典防衛大臣(当時)も駆けつけてくれました。

 打席は、亡くなった家族の人数と同じ、7つです。全打席左右打ちができるのは東北初。1回200円で打てる球数は23球で、これは、牛乳販売店ですから、『乳酸菌』との語呂合わせです。

 牛乳販売店のほうでは、震災後、従業員のためにも少しでも多く利益を出すために、『潮騒ダー』という塩味のサイダーや『希望ののむヨーグルト』など、オリジナル商品にも挑戦して販売しています」(千葉氏)

 バスはツアーの最終目的地である気仙沼プラザホテルに近づく。坂道を登って行くと、漁船が並んで停泊している気仙沼港が眼下に見渡せる。

「震災後の気仙沼の街は何度もニュース映像で観たという方が多いでしょうが、震災前の気仙沼をご覧になったことはありますか? この風景よりも、さらに美しかった。ノルウェーにベルゲンという美しいフィヨルドの街がありますが、気仙沼は『日本のベルゲン』だと、私は言って歩いたものです。復興を考えるときには、被災前の風景も念頭に置いておくべきでしょう」(藻谷氏)

気仙沼プラザホテルへの道から気仙沼港を望む。

 気仙沼プラザホテルでは、里見氏、千葉氏も交えた参加者の懇親会が行なわれた。『潮騒ダー』や『希望ののむヨーグルト』も振る舞われた。

『希望ののむヨーグルト』は、蔵王にある農場の牛乳を使っている。もともと福島県の業者に出荷していたのだが、原発事故の風評被害によって販路を失い、千葉氏が買い受けたのだ。

懇親会で『希望ののむヨーグルト』を手に話す千葉清英氏。

 懇親会をもってツアーは終了した。このツアーを通じて印象深かったのは、九死に一生を得、肉親を失っても希望を失わずに前に進もうとする被災者の方々の心の強さ。それと対照的に無機的にも見える、各地の大規模かさ上げ工事の光景だ。藻谷氏が指摘するように、南三陸の中でも、海岸沿いにしか平地がない大槌と、高台に恵まれた陸前高田や気仙沼とでは、復興策を変えるべきなのだろう。また、高台はあってもすでに住宅地が密集しているケースや、釜石のように空き家が多く残っているケースなど、地形以外の条件も場所によって違う。しかし、とくに陸前高田の工事現場を目の当たりにすると、そうした個別の状況を考慮せず、かさ上げすること自体が目的化してしまっているのではないかという気がした。不必要なまでに費用をかけて、肝心の地域振興策が圧迫される事態は避けていただきたいと願う。

著者紹介

藻谷浩介(もたに・こうすけ)

〔株〕日本総合研究所主席研究員

1964年、山口県生まれ。日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)、米国コロンビア大学留学などを経て、現職。2000年頃より地域振興について研究・調査・講演を行なう。10年に刊行した『デフレの正体』(角川新書)がベストセラーとなる。13年に刊行した『里山資本主義』(NHK広島取材班との共著/角川新書)で新書大賞2014を受賞。14年、対話集『しなやかな日本列島のつくりかた』(新潮社)を刊行。

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