佐々木俊尚 ヴァーチャルの進化が企業にもたらす変革とは

「VR」は我々の仕事や生活にどんな影響を与えうるのか。テクノロジーについて豊富な知見を持つ作家・ジャーナリストの佐々木俊尚氏にうかがった。
2020年05月12日 公開
《ラジオの在京キー局初の女性社長となったニッポン放送の檜原氏。新卒で同社に入社、がむしゃらに働き続けて30代後半になり、仕事に対して疑問を持つようになった時期の経験とは?》
※本稿は『The21』5月号より一部抜粋・編集したものです。
小学校高学年の頃から、ニッポン放送が好きでよく聞いていました。神奈川県に住んでいて、ニッポン放送の電波が一番よく入ったんです。ですから、ニッポン放送に入社したのは、いわば自然な流れでした。
入社した当時はバブル期で、「24時間戦えますか」なんて言われていた時代。ものすごく働きましたね。
けれども、30代後半になり、色々な現場をひと通り経験すると、「これでいいのかな」と自分の仕事に疑問を持つようになりました。会社員によくあるパターンだと思います。
転職することも頭をよぎりましたが、そうすることはせず、中学3年生から高校卒業までをパリで過ごした帰国子女だということもあって、37歳のときに、フランスの商工会議所が行なっている試験を受けました。
合格すると、資金援助を受けながら、フランスの会社で半年間働けるというものです。ただし、受け入れ先の会社は自分で見つけなければなりません。
私はラジオ以外のメディアを経験してみたかったし、映画にも興味があったので、CANAL+(カナル・プリュス)というケーブルテレビ局の映画部門で働くことにしました。
ミラノのフィルム・マーケットに行って映画の売買をしたり、今村昌平監督の『カンゾー先生』(1998)のフランスでの配給権を獲得した会社だったので、今村監督のアテンドをしたりもしました。
私は「STOP & THINK」が大事だとよく言っているのですが、ニッポン放送を休職し、CANAL+で働いたことは、今から振り返ると、まさにSTOP & THINKの機会になりました。外から冷静にニッポン放送での仕事を見つめることができ、次の時代の新しいメディアの仕事がしたいと思うようになったのです。
ちょうどインターネットが普及していく時期で、次のメディアはデジタルだと言われていましたから、ニッポン放送に戻ると、BSデジタルラジオやiモード向けサービスの立ち上げなど、デジタル事業の仕事に携わるようになり、その後、デジタル事業局長まで務めることになります。
そもそも、ラジオはデジタルと相性が良いんです。デジタルの強みは双方向性にありますが、ラジオ番組は葉書やFAXを通じたリスナーとの双方向のやり取りで作るもの。それがメールへと変わっていきました。
この他にも、数多くの転機が積み重なって、自分のキャリアができているように感じます。環境を変えることは確かに大きな転機になりましたが、環境を変えればキャリアが開けるとは限りません。環境の変化を自分の中でどう「調理」するかを意識することが必要でしょう。
キャリアを築くうえでもう一つ重要なのは、人との出会い。ラジオ局は人間交差点みたいな環境なので、非常に恵まれていましたね。
「VR」は我々の仕事や生活にどんな影響を与えうるのか。テクノロジーについて豊富な知見を持つ作家・ジャーナリストの佐々木俊尚氏にうかがった。
ヴァーチャルないしデジタルは、ウィズコロナの社会に欠かせないものとなっています。その発展はますます、ビジネスの可能性を広げることでしょう。
2020年はまさに「コロナ」に振り回された年だった。多くの企業が危機に陥り、厳しい状況は今も続いている。だが、経営コンサルタントとして数多くの企業を指導している小宮一慶氏によれば、この厳しい状況を飛躍のバネとしている企業も多いという。
「仲がいい企業と協力した」ことを示すコラボは、ブランドの新たな価値になる
商人には好況不況はない、何(いず)れにしても儲けねばならぬ。松下幸之助はに危機をいかにして克服してきたのか。
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