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働き手を大切にする経営者が「複業」を推奨する理由

2022年11月03日 公開

大西倫加(さくら事務所 代表取締役社長)

 

面接は「評価」の場ではなく、「お互いを知る」場でしかない

"人合わせ"で仕事をしていると、面接もただ応募者を評価する場ではなくなります。ときに応募者の人生相談の場になってしまうことも(笑)。

以前、面接に来てくれたけど入社しなかった男性がいました。彼は面接での対話をきっかけに、人生について考えたそう。その後、家族と話しあって、やりたいことのために独立を計画しました。

でもその話には続きがあります。そのための修行と生活の糧として、いま、うちでインスペクターや本部業務でジョインしてくれているのです。

面接は冒険の途中に知り合った「他生の縁」で、お互いの人間性や価値観、人生の歩み方までをざっくばらんに話しあう場だと思っています。

しかし、そこで仲間に加わってもらうことだけがすべてではありません。

「いまは無理でも、また会いましょう」の関係になるかもしれないし、お互いのことをもっと知ろうと連絡先の交換から始める関係かもしれない。または部分的にサポートしあう関係もあるでしょう。

私はたった1時間にも満たない面接で人は評価できないと思っています。いくらでも取り繕うことはできるし、相手の一面しか見られない。そんな時間で他人を評価するのは傲慢でムダ。

面接は「一緒に働く?」と直感で言うための機会で、あとは働いてから。だから、人事部には「離職率は気にしなくていい」と言っています。気にしすぎると面接で保守的に排他的になって、組織の多様性の間口を狭めてしまうからです。

入社した後に合わないことは仕方ないので、そこから本当に合わないのか、あらゆることを変えてみて譲歩できるか、進化できることがあるかと模索してみる。それでも合わなければ離れるのも人生。無理やり自分たちの冒険に付き合わせなくてもいいのです。

うちは出戻りも歓迎。生きていれば価値観は変わるから、いったん離れても働き方のスタイルが合致すれば戻ってくることもあると思います。

 

完全アウェイでスタートした社長業

会社の仲間や依頼者、関係者など、人を大事にする経営は、カリスマだった創業者から会社運営のバトンを託された当時の状況が関係しています。

じつは私が社長に就任する際、社内外から不信、不安、反対の声が上がりました。業界も未経験で不動産に関するライセンスもなく、「あいつに何ができる?」と周囲は懐疑的だったのです。

そんな状況で「私(社長)がこう決めたので、こうして下さい」と進めても負けが積んでいくだけ。そこで発想の転換をして、メンバーが心地よく仕事を楽しめて、力を発揮できる場を作ろうと思いました。

しかし私は「家族」経営という言い方はしません。家族的な感情をもつと、相性や好き嫌いを持ち出すことになってしまうからです。

そうではなく、会社や仕事や依頼者のことをリスペクトできる関係でいてほしい。メンバーの働きやすさや環境の制度設計につとめて、皆の「いい仕事をしたい」という思いに対して、年次や役職に関係なく自由で風通しの良い社風にすることを宣言しました。

そしてこの先、仕事や依頼者を愛して成果がでている限り、働き続けることを阻む要因や状況があったら、「会社が全力でサポートする」とも伝えました。長く働いてくれるベテラン社員に対しても、事実上「定年の撤廃」をしました。「やめなくてもいい」働く場を、目に見える形で提供しています。

 

「助けてほしい」そのひと言で景色が変わった

私は育ってきた環境の影響でこれまで、「ずっとひとりで生きていこう、手に職をつけよう」と若い時から仕事中心で生きてきました。

1人で何でもやろう、と思っていたから他人を信じられないし、自分も信じられていなかったのです。今の会社に最初いちメンバーとして参画した際も、当初は「人をコントロール」したくなる病のようなものにとりつかれていた時期もありました。マネジメントスタイルはとてもほめられたものではなかったです。

でもインスペクションの普及活動など業界の反発や誹謗中傷も多く、楽ではない荒波をのりこえてくる中で、少しずつチームでの仕事や仲間のありがたさや心強さに心打たれました。

仲間がいるから、自分だけでは成し遂げられないところにたどりつけることにも気づいたのです。

自分の価値観が少しづつ変わり始めたのは経営者のバトンを受け継ぐタイミング。そこから試行錯誤、働き方の改革やフラットな組織を追究する中で、「まだコントロールを手放せない」自分に直面し、もっと事業や経営を学びたくなり社会人大学院にも通い始めます。

社長業と学業の両立のペースをやっとつかみ始めた頃、両親が相次いで倒れてしまいました。親戚にも頼れる人がいなくて、介護・看護とその後の看取り、相続までこなしながらの職務で、まったく余裕がない日々を送ることになりました。

そのゆとりのなさは社内をギスギスさせ、会社の打ち手もうまくいかず辞める人も出てしまったり…。精神的にも限界だった私は「自分にはできない、助けてください」と、正直に社員に言えたのです。その時に初めて完璧でありたい気持ちや、コントロールを手放すことができました。

また、弱い自分を隠すことなく見せたら、いろんなことがうまく回り始めました。メンバーからは「強くて完璧で何でもできる大西さんより、いまのとぼけていて、雰囲気がやわらかいほうが面白く頼りやすい」とまで。

結果的に、皆が自分の持ち場をこえてチームとして成長してくれた。人それぞれ自分にしかできない個性や能力があるけれど、誰かが抜けて一時的に困ったとしても、今いるメンバーの中で別の機能を担うことで成長・進化する人やチームが変容していく。

「有機体」としてお互いに関わり方が変わっていくことを歓迎し、それぞれのライフサイクルやスキルの変化を受けてチーム・組織のほうを柔軟に変えていく。

組織やルールありきの働き方や関わり方をできるだけなくし、"人合わせ"にする。これがこれからの組織のあり方だと思っています。

仕事は誰かの笑顔や喜びにつながってくものですが、自分自身が喜び楽しんでる人、やりがいや誇りを感じている人こそが、最も誰かを笑顔にできると考えています。だから働く人がどれだけ自分の力を愛し伸ばせるか、その時々のパフォーマンスを最大化できるか、そのための環境や関係性が重要です。

私たちは、冒険の旅をともにしてくれる仲間が成長・活躍できる機会をつくり、仲間や依頼者の笑顔をつくっていける会社でありたいと願っています。

 

【大西倫加(おおにし・のりか/さくら事務所 代表取締役社長】
関西学院大学文学部史学科卒業(1995年)。事業構想大学院大学事業構想研究科修了。事業構想修士(2019年)。
広告・マーケティング会社などを経て、2003年さくら事務所参画。同社で 広報室を立ち上げ、マーケティングPR全般を行う。
不動産・建築業界を専門とするPRコンサルティング、書籍企画・ライティングなども行っており、執筆協力・出版や講演多数。

2011年取締役に就任し、経営企画を担当。
2013年1月に代表取締役就任。
2008年にはNPO法人 日本ホームインスペクターズ協会の設立から携わり、同協会理事に就任。10年間理事を務め、2019年に退任。
2018年、らくだ不動産株式会社設立。代表取締役社長就任。
2021年、だいち災害リスク研究所設立。副所長就任。

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